20180220

性差別的で不快な言葉「処女作」について

昨夏、以前から憧れの存在だったガーデナーで絵本作家のターシャ・テューダーさんの映画を見る機会があり、ますますすきになった。暮らしについては映画で垣間見ることができたが、どのような絵本を生み出されてきたのかにも興味がわいた。

ターシャさんの暮らしをフィーチャーした本や名言集はよくあるが、絵本はなかなか見かけない。取り寄せようにも、100冊以上もあるのでどれが自分に合うかわからない。ターシャさんが手掛けた絵本の解説書を図書館で見つけ、パラパラと眺めてみた。

絵本作家ターシャ・テューダー on Amazon

ところが、著者が「処女絵本」「処女作」を連発するので途中で嫌気がさしてきた。

「初作品」「第1作目」「デビュー作」などで十分言い表せるのに、なぜわざわざ「処女」を出してくるのだろうか。性経験のない女性を征服したい、女性の「初めて」を奪う、あるいは女性を初めて「汚す」のは自分でありたいという男性の欲望から生まれている言葉を、さもしゃれた言葉のように連発するのは気持ちが悪い。

世間的な価値観から離れて、自分らしい世界を広げてきたターシャさんの作品についてこの言葉が使われていたのでなおさら残念に思った。

「童貞作」などとは言わないことからも、性行為を一度もしていない男性という意味の「童貞」という言葉には特別な価値がつけられていない。それなのに、女性については「処女」が特別な価値を持つというのは全く平等でない。男性の場合はむしろ、「童貞」はバカにされる言葉として使われているように思う。男性はさっさと性行為を済ませないとバカにされ、女性はさっさと性行為をすれば「キズモノ」だの「汚れている」だのと軽蔑される。最近では「処女は重い」だのと言う人もいるらしいけど、性の在り方を他人や社会からとやかく言われるのはとにかく気持ちが悪い。

心の中で勝手に思っている分には他人の勝手だけど、こういう多くの人の目に触れる媒体に「処女作」なんて堂々と何度も書かれているのはおかしいと思う。それによってまた「処女」には価値があるという男性側の価値観が暗に広まってしまう。言葉の背景まで感じ取る人間にとっては、目にするだけでも不快だ。ましてや絵本を紹介する本であれば子どもや多感な時期の若者の目にとまることも多いだろう。

「処女作」などという言葉に不快感を覚えるのは私だけではないようだ。
上野さん、「処女作」は困ります―やはり気になることば・15(Women's Action Network 2017.05.01)
この記事には、なぜ「処女~」が差別的用語かということがとてもわかりやすくまとまっていた。Women's Action Networkという団体のウェブサイトに載っていたものだが、この団体は男女間の不平等、ジェンダー差別をなくすことを目的に活動している。その理事を務める上野さんという女性が著書で「処女作」と書いていたことに苦言を呈しているのがこの記事。上野さんともあろう方が、女性解放運動の代表的存在の初の著書を「処女作」と書くのは困るというのには、私もその通りだと大きくうなづきながら読んだ。

女性差別に問題意識を持つ方でさえ「処女作」なんて書いてしまうとは、それほど、言葉の語源や背景、ニュアンス、言葉が与える感じをよく考えて、言葉を意識的に選ぶのは難しいということなのだろう。時間が限られていたり、心に余裕がなかったりするときは特にそうかもしれない。多くの人は無意識に言葉を使っている。言葉を意識して選び取らなければ、望む現実を遠ざけ、望まない現実を長引かせることにもなってしまうし、だれかを不快にしたり、悲しませたり、傷つけたりしてしまう恐れもある。

この記事では、なぜ「処女~」が差別的用語かを以下のように解説している。
ここで、差別的用語「処女~」についておさらいをしておきます。
 
 「処女~」の表現は、「最初の~、初~」をいうときの比喩表現として使われてきました。「初航海」を「処女航海」といい、まだだれも登っていない山を「処女峰」というなどです。 いつも言っていますが、これには対になる男性側の表現がありません。「童貞航海」「童貞峰」という語はありません。このことが差別的と言える一つの理由です。

 もうひとつは、性体験のない「処女」を、「初の」「最初の」の意味としての高く評価して使うことで、「処女」以外の女性の価値を傷つけているからです。性体験の有無で女性を区別することは、全く男の論理です。性を知らない女のほうが男にとって価値がある、知ってしまった女はもう「キズモノ」だから価値がないと、まさに女の性を商品扱いしています。当然、この語に対する女性側からの反発が出てきました。そうした女性からの物言いを受けて、世間もこの語に対する認識を改めるようになってきました。
対になる男性側の表現がないため男女間に不平等があること、それから「処女」と「初」を共に価値の高いものとしてなぞらえることは性体験の有無で女性の価値を差別することにつながり、女性の性を商品扱いすることにもなるという2つの理由が明快に説明されている。これを読んでもそれでも「処女作」は「初作品」「デビュー作」「第1作目」などよりもしゃれた表現だと思うだろうか。

それにしても、この表現を見たのはかなり久々だった。この記事によれば、差別的用語として新聞や出版物では使用を控えるようにガイドラインで推奨されているという。それで最近はあまり見かけなかったのか、と思った。
 新聞記者用のマニュアルを各新聞社は出しています。少し古いですが2005年に共同通信社が発行した『記者ハンドブック 新聞用字用語集』を見てみます。「書き方の基本」という大項目の中に「差別語、不快語」という小項目があります。その中の「性差別」の見出しの下に、次のような記述があります。(例の一部は省略しています。)

▽性差別 女性を特別視する表現や、男性側に対語のない女性表現は原則として使わない。 女史→○○○○さん、 婦女子→女性と子供・子ども、 内縁の妻、内妻→使用を避ける。 「注」 「女傑、女丈夫、男勝り、場の花」「処女航海、処女作品、処女小説、処女峰」「才媛、才女、才色兼備」など女性を殊更に強調したり、特別扱いする表現は使わない(p494)。

 もう1冊、讀賣新聞社で出している『讀賣スタイルブック2005』を見ます。「差別表現・不快語」の項目中の「■性差」の見出しで、 正妻、内妻、人妻、女医、女学生、女書教師、女流…、処女峰など「処女…」、電話交換嬢 などの語群が示され、言い換えが望ましいと記されています。(p770)
新聞社でもこうしたガイドラインをつくっている。共同通信社の「記者ハンドブック」は、書籍の編集のインターンをさせてもらった編集部の書棚にあり、私も見たことがある。校正のお手伝いをしたときに参考にするように勧められて、傍らに置いて原稿を確認した記憶がある。新聞各社だけでなく、出版業界全体でスタイルブックは参考にされていると思う。最近はあまり見かけなくなったのは、書いた本人がどうしても「処女作」でなければ嫌だという場合はそのまま載せるのだろうが、そうでなければ性差のない表現に改めているからではないかと思う。

兵庫県姫路市では刊行物作成に関して「男女平等に関する表現指針(PDF)」を2008年にまとめていた。固定観念に基いて表現していませんか、という問題提起から始まる。多様な生き方に配慮していることがうかがえて、よい取り組みだと思った。

「処女作」という表現が性差別的で気持ち悪いというと、オリーブオイルの「バージンオイル」も性差別なのかと突っかかってくる人がいるけど、それも改めればいいだけの話だと思う。ごま油みたいに玉締め法とか、和紙ろ過とか、精製方法を明文化してくれたほうが、化学溶剤で絞り出したり精製していないということがわかりやすい。

オリーブオイルの場合は、化学物質などで汚されていない=virginという比喩だけど、英語のvirginは男も含むので、「処女作」とは違って対になる男性側の表現がないから男女間に不平等があるという問題はないにしても、性経験の有無で人間の価値を差別していることには変わりない。英語のvirginはキリスト教的な純潔さのイメージがかなり強い言葉で、日本語の「処女」(宗教的な意味合いはない)とはかなりイメージが違うのだが、それでも性経験の有無で人間の価値を差別するような言葉は使わないのが一番だと思う。

日本は性差別がまだまだ根強い国。あまり意味を考えずに言葉を使っていると、知らず知らずのうちに差別用語を使ってしまうことがよくある。個人の自由が尊重されるのびのびした世界を望むなら、その世界と対極にあるような言葉はなるべく使わないようにしたい。

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