20180116

写真撮影のマナーについて。撮られたくない人は撮りたい人にどう伝えるのがよいのか

金沢へ行ったとき、近江町市場に少し寄った。事前にもらってあった金沢のまち歩きマップに「写真撮影はお店の人に許可をとるべし」と書かれていて、金沢には写真嫌いの人が多いのかもと思った。私も自分の顔やものの写真を撮られて無断でSNSなどに投稿されるのは嫌いなので、その気持ちはよくわかる。

近江町市場に行ったら、「市場で買ってはいけないものが1つだけあります。それはひんしゅくです」「写真を撮るときはお店の人に許可を得ましょう」といったようなコピーが書かれたポスターが通路に置かれていた。加えて、カメラに赤でバツが付けられたマーク、それから「NO PHOTO!」のマークが激しく並んでいた。やっぱり金沢の人は写真を撮られるのが相当嫌なのかと思った。

近くにいた人がその掲示に興味を持ったようで、ポスターにカメラを向けた。写真のマナーに気をつけるように、SNSか何かで呼びかけようと思ったのかもしれない。カメラを向けたその瞬間、そのポスターの近くの店の男が獰猛なブルドックのような勢いで「写真はダメって書いてあるでしょう!!」と飛び出してきた。カメラを持っていた客が「このポスターもダメなのですか?」と尋ねると、店の男は「ダメ、ダメ!」と鼻息荒く怒鳴った。ポスターは通路に置かれていたので、店の人のものなのかどうかも定かではなかった。客は一緒に来ていた人と「早速ひんしゅく買うてもたよ」と笑っていた。観光名所であるがために、このブルドックみたいな男性一人の態度で、小さなことに目くじらを立てて罵るみみっちい県民性だという印象が付近にいた人たちに残ったら残念なことだとも思った。

そのやりとりを見て私も写真は撮らなかったので、現物のポスターはお見せできないのだが、検索したら制作を担当された広告制作会社のウェブサイトに一部掲載されていた。リンクだけ以下に掲載したいと思う。私が見たのはこれとは少し違っていたけど、雰囲気はおわかりいただけると思う。
ワザナカ(wazanaka.llc)「近江町市場マナーアップツール」より https://wazanaka.jp/works/2272/
どれも、マナーを呼びかけるというちょっと言いづらいことを伝えるときに必須のユーモアが効いていておもしろい。ただ、あまりのおもしろさに思わず「拡散・シェア」したくなるようなポスターで、写真を撮らないでと言うのに使うにはムリがある。内心「おっさんが一番ひんしゅく買っとるわ…」と思った。(近江町市場の全部のお店の人がこういうわけではなく、「写真を撮ってもいいですか」と尋ねられて、「どうぞ、どうぞ」とにこにこ快諾している人もいた)。

以前金沢に行ったときに立ち寄ったカフェが素敵だったので、また行きたいと思って場所を調べていたら、そのカフェのブログに「NO PHOTOーカメラ、携帯電話、スマートフォンなどによる店内での撮影はご遠慮ください」の札を全席に設置して、店内の撮影は全面禁止にしたことが書かれていた。

よく読むと、写真を撮るのが絶対にダメなのではなくて、許可を求めてからであればOKらしい。「写真を撮ってもいいですか」の一言をなぜ言えないのか、基本的なマナーなのになど、客への怒りがひたすら綴られていた。でも「NO PHOTO」と書かれていたら、「写真を撮ってもいいですか」ときく人はいないのではないだろうか。むしろ、強引な客が店主の目を盗んでこっそり勝手に撮りそうな気もする…。

素敵なお店だからウェブサイトやブログ、SNSなどで紹介したいとか、そういう応援の気持ちで写真を撮りたい人も中にはいるだろう。そういう優しい気持ちを持っている人ほど「撮影禁止」とあるのに「写真を撮ってもいいですか」とはきかないだろう。「写真を撮りたい方はおたずねください」とかのほうがお互いにメリットがあるような気がする。そもそも写真を撮る気はなかったが、NOだらけの店内で飲食をするのもギスギスした気分になりそうだし、その怒りに満ちたブログ投稿を読んでいたら恐ろしく思えてきて、寄るのは結局やめにした。

間伐材を使った製品や天然素材の雑貨を販売している、私のよく行くとあるお店では、「写真を撮りたい方はスタッフにお声がけください」という掲示があちこちにある。たいてい、「そこまでして撮らなくてもいいや」と思うのか、カメラを向けている人は少ないが、ときどき、スタッフに聞いている人も見かける。

客:「すみません、写真を撮りたいのですが…」
お店の人:「ほかのお客様が写らないようにご配慮ください。それから作家さんの作品ははっきり見えないようにお願いします(おそらく、デザインを盗まれたりしないようにという配慮だと思う)」

こんなやりとりをときどき耳にする。こっちのほうが怒らなくて済むし、お互いに気分がいいのではないだろうかと思った。

自撮り棒を振り回して写真を撮っていたり、まわりの人の顔が入ってもお構いなしでカメラを向けていたり、「とりあえず撮っとくか」みたいな感じで店内の写真をガシャガシャ撮りまくっていたり、他人の写真撮影のマナーのわるさには私自身も辟易としている。シャッター音もうるさいし(シャッター音がないのも盗撮の恐れがあって嫌だけど)、おびただしい数のレンズが常に何かを狙っている状態の街は落ち着かない。

写真を勝手に撮る人というのは、「みんながそうしているからいいだろう」という人が大半かもしれない。写真を撮る際には、「みんな」という自分に見えている範囲の複数人のことを考慮するのではなく、直接関係のある写真を撮られる人や写真を撮るときにまわりにいる人のことを考慮してもらいたい。

写真を撮りたい人は、その逆の立場の人=写真を撮られるのが嫌な人のことを考えてみれば、一言きいてみてから撮ったほうがいいということがわかると思う。きいてみれば「店内の全体的な感じならいいですよ」とか「SNSに載せるのはやめてくださいね」とか「今はほかのお客さんがいないのでいいですよ」とか、相手の要望をきくことができる。無断で撮る人が多いから全面禁止という状況を避けることにもつながる。

私自身も写真を勝手に撮られるのは嫌いなので、「NO PHOTO」を訴える気持ちはよくわかる。しかし、その伝え方にはトンチとユーモアが必要だと思う。市場のポスター掲示の例は「そうや!これや!わしの気持ちを代弁しとるええ皮肉や!」みたいな気持ちで掲示したのだと想像するが、おもしろすぎて逆に写真を撮りたくなってしまうようなポスターを掲示してしまっている。それを掲示した結果どうなるかを考えなかったために、逆にしょっちゅう写真を撮られて怒り続けないといけなくなるというのでは意味がない。

他者の行動に腹を立てて反射的な措置を取るのではなく、自分はなぜ腹が立ち、他者にどうしてもらいたいのか、そのためには自分はどうするのがよいのか、自分の行動を考える上で参考になる事例はないかどうか、そうしたことを考えた上で、自分が望む状況を実現するには、どうすれば一番効果が高くて、なるべく憎悪を生まず、ポジティブな感情を生むか、と策を練ったほうが消耗しなくて済む。写真が嫌だからと、写真を撮る人のことを「最低!」とか「非常識!」とか「どアホ!」とかで止まってしまうと、生まれる行動が憎悪しか生まない報復になってしまう。報復は報復を呼ぶ。負の連鎖に陥ってしまう。そうではなく、一歩立ち止まって、なんで写真を撮りたいのか、と想像してみると、より建設的な対話や対応が生まれてくる。

写真を撮りたがる人も、写真を撮られるのが嫌いな人も、まずは自分とは逆の立場の人のことを想像することが解決につながる。どんなことにも言えることだが、自分とは逆の考えや感情を持つ人がいるということを常に念頭に置いて行動を考えることは、多様な人(自分を含め)に配慮の行き届いた居心地のいい世の中をつくるのに必要不可欠な姿勢だと思う。

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