20180123

モッタイナイ食べ残しを持ち帰る。フードロスやドギーバッグの普及について

パーティではよく食べ物がたくさん残っている。

食べられる食べ物を捨ててしまうことをフードロスと呼ぶそうだ。食べ物を生産するのには、水も使うし、二酸化炭素も排出する。畜産であれば穀物も大量に必要になる。少なく見積もっても生産される食品の3分の1にあたる約13億トンの食品が捨てられていて、このうちの4分の1だけでも有効活用できれば飢餓に苦しむ人のうち約7億9500万人のお腹を満たすことができるという

特に食肉は捨てられているのを見ると心が痛む。動物を殺したというのに、それを栄養にさせてもらうことをせずにただ捨ててしまうことが心苦しいだけでなく、水不足や食糧難に困っている国の穀物や水を使って豚や牛を育てて、その豚や牛を殺して食べている。国産ならいいという話でもないらしく、日本の鳥や豚や牛も外国産の穀物を飼料にしている。つまり、飢餓に苦しむ人が食べられたかもしれない穀物を奪って、家畜に食べさせているということだ。

日本のフードロスに関する調査があった。外食産業では、結婚披露宴の食べ残しが圧倒的に多い。平成21年度に東京と大阪の飲食店を対象にした農林水産省の調査結果によると、外食産業におけるフードロスの割合は、結婚披露宴で19.6%、宴会で14%、食堂やレストランで3.2%と、結婚披露宴が特出していた。

先日、結婚披露宴に呼ばれ、いつもの感じからすると、食べきれないことは予想がついた。殺された生き物の命を粗末にするのは嫌なので、琺瑯容器を持っていってそっと詰めて帰ってきた。コース料理だったから、その場で食べるか、後から食べるかの違いであって、持ち帰り用の容器を持っていくことは別に恥ずかしいことではないと思うのだけど、ほかに容器を持ってきている人はいなかった。貧乏くさいと思う人が多いのだろう。

そのときの料理も大量に残されていて、スタッフの何人かが「まともなのはこれくらいしかねえや」と吐き捨てるように言っているのが、帰り際に聞こえた。全く手をつけていないものはスタッフで食べるのかもしれない。少しでも手をつけたものはやはり捨ててしまうのだろう。

持ち帰り用の容器を持っていって、他人の分まで詰めて帰ったら、それはがめつい感じは否めないが…。貧乏くさいとかよりも、食べ物を粗末に捨てることのほうが格好悪いという価値観にシフトできないものかと思う。日本が誇る「モッタイナイ」の精神は、拝金主義に負けてしまったのだろうか。

披露宴や宴会の会場で、「食べきれない場合は持ち帰りOK」と明言してくれれば、お客さんも持って帰りやすいように思う。容器を持ってきていない人には容器も有料で(できればリユース可能なものであったり、リサイクル素材や廃材を有効活用したものだったり、環境に配慮した容器であってほしい)提供してくれれば食べ物が無駄になることも減ると思う。もちろん、衛生上の注意は必要だ。そもそも、食べ残さないように食べ切れるだけ作るほうがいいにはいいけど、ゲスト全員にカスタマイズするのも難しいことだろう。

アメリカでは「ドギーバッグ」と呼ばれる容器に入れて食べ残しを持って帰るそうだ。「犬に食べさせる」という建前で入れてもらう容器なので、doggy bagと言うらしい。実際には人間が食べるのだけど、持ち帰って食べて万一お腹を壊しても自己責任だから、というメッセージが暗に含まれているような気もする。というか、容器は清潔に保つとか、生ものは持って帰らないとか、暑いところに置かないとか、長時間寄り道しないとか、普通に気をつけていれば、持参した容器で持ち帰りをした料理を食べて、お腹を壊したことはない。

名古屋ではこの「ドギーバッグ」で食品廃棄物を減らそうと、持ち帰り用の折りたたみ容器の普及を図っている団体があるという。

特集・なごやエコ最前線「残さず食べ切って、食品廃棄物を減らす〜セカンドハーベスト名古屋、ドギーバッグ普及委員会の試み〜」
https://www.n-kd.jp/move/feature/1004.html

この記事の中で、ドギーバッグ普及委員会の小林富雄さんは次のように語っている。
ドギーバッグを通して提案したいのは、ただ持ち帰ろうということではなく、食べ残さないようにしようということ。そこから、食べ物を大切にする文化を共有していきたいのです。
食べ物を大切にする文化が復活して進化し、もっと無駄がなくて愉しい食文化が広がっていくといいなぁと思う。

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