20170427

「オヤジ」とは何か

身近な人にも「オヤジフォビア」(oyaji-phobia: -phobiaは「~恐怖症、~嫌い」の意味)と言われるほど、オヤジが苦手だ。そもそも「オヤジ」とは何なのだろう。

ちなみに、世間的なカテゴリーとして「オヤジ」に分類される中高年男性が嫌いなのではなくて、オヤジの要素が嫌いで、女性でも若者でもオヤジっぽい面を出されると不快を感じる。

漢字で書く「親父」と、カタカナで書く「オヤジ」は、微妙に違いがあるような感じがする。私が嫌いなのは「オヤジ」のほうだ。漢字で書く「親父」は、「親父さん」と呼ぶのに使われるときなどには尊敬と親しみが込められているように思う。

私が思う「オヤジ」の特徴は、
  • 見た目の清潔感を氣にかけない(人前で鼻をほじるとか)
  • 不快な音やニオイを発する(連続する舌打ちとか化学的な香料とか)
  • 態度や話し方が高圧的
  • 自分だけがエライと思っている
  • 新しい物事や考え方を拒絶する
  • 自分と違う物事や考え方を拒絶する
  • 無責任で下世話(自分のやるべきことはしないのに、他人の非難ばかり)
  • 同じ話ばかりをする
  • 自分が話すときは熱心なのに、人の話を聞くときはおざなり
…など。

常にこういう人もいれば、相手や状況に応じて出具合が変わる人もいる。さらに年上の男性だとか、ビジネス上のエライ人だとか、緊張する相手を前にしたり、大勢の人の前で発表したり、そういうときにはオヤジの面が引っ込んで、「紳士」になっている、ということもある。コンフォートゾーン(安心できる状況)が広いオヤジは、ほぼどんな状況にあってもオヤジだ。女性でしかも若いと、オヤジのコンフォートゾーンに入ることが多く、オヤジの面を全面に出されることが多い。たぶん、私は迫力の60代くらいにならないと、オヤジの面に遭遇する確率が極めて高いので、紳士のふるまいをしてくれることが不確かな男性との接触はなるべく避けるようにしている。

よいかわるいかは別として、バーチャルでかっこいい男性と恋愛の疑似体験ができるスマートフォン用のゲームが女性に人気だという。身近で見聞きする話から思うに、男の人は年齡が上がり、パートナーができてしばらくすると「オヤジ」か「わるガキ」のどちらかになってしまう時間が多くなってしまうようだ。「紳士」か「王子」でいる時間が多いほうが女性としてはありがたい。冷めてしまうのはそのせいだと思う。パートナーに嫌気がさしてきてしまい、心の慰めを仮想現実に求めしまうのかもしれない。

オヤジを私なりに一言で定義するとしたら、

「男であるという属性に甘んじて、思考と努力を停止させている人(またはそうした姿勢を取り入れている人)」

という感じ。新陳代謝が停滞している。不要になった老廃物ばかりを溜め込んで膨らんでいるだけなのに成長した氣でいるような。天動説と地動説のように、昨日まで正しいとされていたことが、実は思い込みで、今日からは全く前提が変わる、ということも目まぐるしく起こる。「万物は流転する」、「諸行無常」、こうした古くからの言葉にも語られているこの真実を受け入れずに、自分の安全地帯に逃げ込んでふんぞり返っていては、熟成も成長もできない。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」(≒The boughs that bear most hang lowest.)と言われるように、人は、知識や能力、人徳が高まれば高まるほどに、尊大さとはかけ離れた姿勢を身に着けていくものだ。それは、知れば知るほど、高まれば高まるほどに、尊大な態度をとることの無意味さがわかるからだと思う。それに、悟りを開いたら違うのかもしれないけど、そうでもない限り、自分がまだまだだということがますますよくわかってくるもの。オヤジの姿勢では実ることもできない(=知識や能力、人徳を高めることもできない)。

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