20170302

セルフビルドのテレビを見て思ったこといろいろ

セルフビルドでおとぎ話のようなかわいい7つの小屋を建てて、それらを住まいとしている夫婦がテレビで取り上げられていたそうで、録画を見せてもらった。

男性のほうはもともとDIYが好きで、世界中の家の建て方を取り上げた写真集を見て、「家造りってこんなに自由でいいんだ!」と感激したのがきっかけで、セルフビルドに挑戦するようになったという。女性のほうは、ひょうたんで照明をつくるアーティストで、セルフビルド最新作は女性のアトリエ小屋だった。

この夫婦のことを知ることができたのはよかったのだけど、相変わらず、テレビというのは古くさい固定観念を増幅しているなぁ、と残念に思った。(高校生くらいのときからテレビはほぼ見ない)

リポーター(女性)が、男性に一人で建てたことを確認した後、女性に対して、「その間、奥さんは何してたんですか?」と尋ねていた。「なんじゃそのぶしつけな聞き方は」と閉口した。そもそも、その「奥さん」という呼び方が古い。男性には「ご主人」と呼びかけていた。お決まりの辟易とする呼称…。女性も手に職があるし、男性の活動を支えてもいるし、この2人はどう見たって主従関係ではない。女性が1人でいたら、女性にきちんと名前を尋ねて、女性を名前で呼ぶ。女性が男性と2人でいたら、男性にだけ名前を尋ねて、女性には聞かずに「奥さん」で済ます。男性と2人でいるときはその男の付属物とか従属品のように扱われるのはおかしいと思う。2人にはちゃんとした名前があるのだから、名前で呼びかけたほうが、きちんと人として向き合っている感じがする。

リポーターの質問に、女性は「私はお茶飲んだりしながら、応援してました」と笑顔で答えた。リポーターは「はぁ~っ?」とでも言いたげなけげんな顔。女性が無力で実務を男にやらせて飾り物のように役に立たない、みたいな描かれ方がされていて、視聴者も多くがそういう刷り込みをされるだろうと思った。

少し想像力を働かせれば、喉が乾いたら飲めるようにとお茶を用意しておいたり、お腹がすく頃に合わせてご飯をつくったり、細々とした作業を手伝ったり、手伝いで来てくれた人たちに対応したり、ということは十分に考えられるが、女性が「私はこんな貢献をしました!」なんてテレビに向かって宣言する可能性は低い。聡明で控えめな女性であればなおさら。それなのに、いかにも役立たずのように映し出されていて、彼女のことがとても氣の毒だったし、テレビの描き方にものすごく腹が立った。

仮に彼女が何もしていなかったにしても、そばで笑顔で応援してくれるというだけで、どんなにココロが明るくなることかと思う。私だって、何かをつくるとき、一人で自分のためだけにつくるのも愉しいは愉しいが、相方や友だちに見てもらえたり、しんどいときに応援してもらえたりするともっと氣持ちが晴れやかになる。モチベーションも何倍にも上がる。言葉どおり、「そばで応援する」というだけでも、大きな力になると思う。そういうことに考えが及ばないのだろうか。

世間では、「何かをする」(=DO)にだけ価値を置き、「存在する」(=BE)にはほとんど価値を見出さない。「働かざる者食うべからず」なんて言説もまかり通ってきた。人間はhuman-BEingというだけあって、BE、存在する、それだけで価値がある存在だと思う。どんな命もそうだけど。こういう大事なことを忘れてしまうから、何かDOする機械やロボットをありがたがっても、高齢者や子ども、障害を持った人のことを大切にできない社会になっている。こんな考え方だから、自然環境やそれを守る営みを続けてきた人々が与えてくれている目に見えにくい、直接的にはわかりにくい価値を理解できずに、大事なものを破壊し尽くしてきたんじゃないだろうか。「たとえば君がいるだけで 心が強くなれること 何より大切なことを気づかせてくれたね」(米米CLUB『君がいるだけで』の一節)という歌詞はいいことを歌っていると思う。

セルフビルドで建てたキッチン小屋で、二人が夕食を一緒に調理する場面もあった。リポーターは二人につくってもらったパエリアを食べながら、女性に「ご主人、よく料理するんですか?」と尋ねていて、「今2人してつくっとったやん。なんで男のほうだけ特別みたいな言い方してるん? よく2人でつくるんですか?とかならまだ理解できるけど何ゆっとん?」と思った。

女性が料理するのは当たり前で、男性がDIYもできて料理までしてくれるなんてスバラシイみたいな描き方。ますます女性のことを、家づくりでも役に立たず、料理すら男にやらせる女王様みたいに見せようとしているように思えた。私が彼女の立場だったら、パエリアを没収して、「帰れ!」と追い払いたいくらい無礼なやつらだと思った(たぶん、実際そうなったら、内心ピキってなりながらニコニコして我慢してしまうんだと思うけど…)。

このセルフビルドの家はほとんどが天然の素材や廃材で建てられていた。リポーターが男性に「地球にやさしい家なんですね」とさも得意げに言うのだが、男性は腑に落ちないような表情をしているように思えた。私もこの発言には違和感を覚えた。「地球やさしい」んじゃなくて、「地球人間にやさしい」なんじゃないの? 地球が人間が住むところを作る材料を与えてくれているんだから、と。そもそも、地球に厳しい家が当たり前っていうこと自体おかしいし、「地球にやさしい」なんて軽々しく使うおだて言葉じゃない。

こんな感じでツッコミどころ満載で、「やっぱテレビって古いわ~‥見てたら頭が化石になりそうだわ~」とも思ったが、テレビでこういう新しい生き方を取り上げるというだけでも少しは進歩してきているということなのかなぁとも思った。やっぱり、住宅会社とか、建材メーカーとかが儲からなくなると困るからか(スポンサーだからね‥)、セルフビルドをするなんて相当な変人で普通の人には無理みたいなふうに描いているように見えたけど。

天然素材でセルフビルドをしたり、料理も2人でしたり、2人ともフリーランスで働いていたり、きっと新しい感性を持った2人だと思われ、きっとテレビのこういう描き方にはいろいろと違和感を持たれたのではないかと推察されるが、2人とも「あー来た来た」という感じで余裕で受け流し、常に笑顔で穏やかに落ち着いた答えを返していて、この達観した余裕、見習いたいと尊敬した。

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