20170223

いい人といい仕事をする

私はフリーで翻訳などの仕事をして食べている。フリーで働くなら、どんな仕事をするか、だれと一緒に仕事をするかをよく考えて決めることは本当に大事だと思う。それができるのがフリーのいいところでもある。どこか決まったところに勤務するという働き方だと、自分でそれを決めるのは難しいから。

なんかの拍子で、昔のメールが出てきた。読んでみると、移住直前のメールだった。あーそういえばそうだった、とがっかりしたのを思い出した。

移住前に比較的長期で担当していた仕事があった。場所にとらわれず、ネットとパソコンさえあればできる仕事で、移住しても続けられる仕事ではあったのだが、発注側から移住でいろいろ大変だと思うから、3カ月限定で別の人に作業を代わってもらうのはどうか、という提案があった。3カ月後に、続けて担当できるかどうか、確認の連絡をくれるという条件付きで。

どちらかと言えば好きな仕事だったというのもあって、移住の直前も直前の一番大変な時期にもその作業はやっていた。移住した後がどのくらい大変なのかは未知数だったし、一定期間の間だけ他の人に代わってもらう、というのは、たしかにありがたい提案かもしれない。

移住前はパートタイムの仕事もしていて、その仕事は会社に通えなくなるので続けられないから、その分の収入が減る。お金の不安もあって、多少大変でも続けたほうがいいかもしれないとも、正直、迷った。でも、3カ月だけということだし、3カ月経ったらまたやりたいかどうか聞いてくれるという話だし、と額面通りに信じて、ありがたく代わってもらうことにした。

約束の3カ月が経っても、仕事は戻ってこなかった。

私の仕事を「期間限定で」代わってくれた人は、新しく正社員になった人だとあとから聞いた。その話から推測すると、どうしてもその人に何らかの定期的な仕事を与えなければならなかったのだろう。それならそうと正直に言ってくれれば、気持ちよく譲り渡せたのに、私のためを思って、みたいな嘘にはがっかりした。「これからも仲良く」とか、「名残惜しい」とか、あの言葉はなんだったんだ? 人間なんかもう信じないと思った。

あてにしていたお金が入ってこないということだから、生活の面でもたいへんはたいへんだったのだが、「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったものだ―もっといい人からもっといい仕事が来た。

その人との仕事は本当におもしろくて、今も続いている。仕事が楽しいだけではなく、人間の面でもものすごく勉強になる。私のことを人間として大事に思ってくれているのがものすごく伝わってくる。費用についても、複数の提案の中から希望をきいてくれたり、できるかぎり納得できるように配慮して提案してくれて、びっくりしていたら、チームとしてみんな気持ちよくできないと広がっていかないからだという。そういう哲学のようなものにもたびたび感動させられる。納期がタイトだったり、余裕がなかったりするときも、正直に事情を話してくれるから、疑心暗鬼にならずに気持ちよくサポートできる、というか、サポートしたくなってしまう。

翻訳など語学関係の仕事は、比較がわりとしやすくて常に比べられやすいということもあり、コンプレックスを抱えた人も多い。ちょっとでも間違いがあったらさんざんなことを言う人もいるのだが、この人は、私のスキルアップのことまで考えてくれて、勉強になるだろうからという想いからだと思うが、校正された原稿を私が傷つかないようにものすごく配慮しながら送ってくれたときもあった。こんな人と仕事ができるなんて、本当に幸せなことだと思う。

多少不快な思いをすることになったり、金銭面で不安があったり、だまされた結果離れることになったとしても、そういう人とはさっさと別れたほうがいい。

こっちからさよならする勇気はなかなか出ないけど、だまされた形でも向こうから去ってくれて手間が省けたと思ったらそうわるいことでもない。後腐れなく、「まじめに生きてたらいいことあるさ」と、「ああいうことをするのはよくないって教えてくれて反面教師ありがとう!」くらいに思って、笑って精進していたら、福は舞い込んでくるもの。