20160618

自分を必要以上に責めるのはやめよう、の話。

思考力や理解力の違いから、「うーん、どうもかみ合わない」、というよりもむしろ、「とてもじゃないけど、お話にならない」ということがときどきあります。

もちろん、私も、「こいつ、全然話が通じねぇな!」とか、思われていることもあるんだと思います。

相手の心が良ければ、この違いは理解しあう価値のあるものだと思うのですが、そうでない場合もあります。こちらが具体的に説明している個別事例を検証することもできず(できないのかしないのかわからないが)、全体的な論理も通じず、自分の考えを明確に述べることもなく、並べられた反論は、もっともらしく断言するものの、よくよく検証してみると、どれも的外れ。こういう人には何度か出くわしていて、いつもどうしたらいいんだろう、と途方に暮れます。

こういうとき、ついつい自分のせいにしてしまいがちです。私の説明が十分でないせいだとか、私に何かわるいところがあったからこういうことを言われるんだとか、私のできがわるいからうまく行かないんだ、などなど。

でも、客観的に見ると、自分にも至らない点もあるけれど、比べてみると、やっぱり相手がおかしいことのほうが多いこともある。

プライドが高くて逆上する人も、本当は自分ができないのを知っている。

てっきり、純粋にわからないのかと思って、なぜ誤っているのかをわかりやすく説明するから、相手の傷口に辛子を塗るようなことになってしまう。妙な自信を振りかざされたりもするし、私の知らないギョーカイ用語や俗語を使われて、余計に話が通じなくなったりもする(あれって、知識差で私を見下げるためなんだろうけど、そのギョーカイ用語知っている彼・彼女を一体だれが尊敬するんだろうといつも疑問に思う。それをひけらかす彼・彼女のほうが、その知識を持たない私よりも、よっぽど恥ずかしいことなのに)。

私みたいな人は、まわりの友人・知人たちを見ていても、きっと結構いるんだと思うけど、まず、自分だけのせいにして、自分を責めてばかりいたら、いけないと思いました。自分の経験から強く思うことなんですが、必要以上に自分を責めないでほしいと思います。自分はそこまでわるくないのに、自分が持つ責任以上の罰を、自分で自分に与えないでほしい。

かみ合わない議論に持っていって、自分でも論理破綻に気がつかない(フリなのかも)人っていうのは、自分の至らなさを直視できず、それを改善しようしないこともダメだとわかりながら、それでも改善する努力をしないがために自信を回復することがなく、どうにか自尊心を保つために傲慢になって、その場しのぎの言い訳をするだけなのだから。

それから、こういう話にならない人と、うまくやる術も身につけないといけないと思う。

はっきりさせなくていいこともあると最近は思うようになってきました。こういうまともな議論ができない人というのは、世の中、結構多いものです。世の中をうまくいい方向に持って行こうと思ったら、正しさを証明しようとしていると、逆に遠回りになることも多いと思います。

はっきりさせないで、うまく相手のプライドを傷つけないようにしながら、自分の望む方向に持っていくという、魔法のような手法を身につけたほうが生きやすい。若いころは、何事も白黒はっきりさせないと、と思っていたんだけど、それだと時間がかかりすぎて大事なことが進んでいかないし、まわっていかないこともある。別にそこまで重要じゃないことは、うまく目をくらませて、丸め込んで、そういう処世術みたいたものを身につけないといけないのかもしれないと最近思います(いやーそんなんできるんかー?、自分)。

それに最近気がついたのです。白黒はっきりさせて、相手にわからせるのが自分でなくても、みんな別な形で報いを受けていることが多いということにも。自分のことが完成しているなら、相手の成長のために真実を語ることは、次のステップとして必要なことかもしれませんが、相手の成長にまで、責任を持つ必要はないと思います。しかも、それほどよい人間でない人の。

魔法のような処世術、うまい人から見習いたいものです。