20160411

「頭で考えるな」という批判について。

【旧暦弥生五日 清明 次候 鴻雁北(こうがんきたす)】

論理や科学の行き過ぎからか、「頭で考えるな」という批判をよく耳にするようになりました。直感や感情を置き去りにしてきたことへの反動だと思います。

しかし最近は、その「頭で考えるな」という批判が行き過ぎて、思考を全否定するようなことを言われることも、私の体感として増えてきました。スピリチュアル系の人たちにも多いし、自然系、とりわけ発酵好きの人たちにも多いです。

具体例を挙げれば、「大脳を使うと直感が鈍る」というスピリチュアル系の人たちがいましたが、根拠が定かではありません。発酵好きの人たちの中には、「腸で考える」ということを合言葉のように言う人たちがいます。私にはその「腸で考える」という感覚が理解できないし、感じとることもできません(腸内細菌の働きを模範に、社会のなかにいる一人一人の役割や、動きを「頭で考える」というのだったら理解できるのですが)。

権力側や、99%の市民から富を吸い上げている1%の富裕層たちは、考えない人を増やしたほうが好都合でしょう。考える人や思考力の高い人が増えると困る。何も考えずに、マインドコントロールしやすい人たちが増えたほうが、自分たちの望むように世の中を動かしやすいからです。

「頭で考えるな」と言う人たちは、こういう勢力にうまく使われてしまっているように感じます。直感がすこぶる優れている人が増えていれば話は違ってきますが、現状は、直感も感情も育たないまま、考えない人間が増えているだけのように私には思えます。

こうした批判が頭を使わない考えない人間を増やすことにつながっているのではないかという危惧を感じています。直感や感情がなおざりにされるのがよくないということには同意見ですが、論理や思考を全否定することなく、頭も心もバランスよく使えばいいと思います。

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