20160419

初対面で年齢を聞いても、関係の構築に負の結果しか生まないと思う理由

【旧暦弥生十三日 清明 末候 虹始見(にじはじめてあらわる)】

昨日は、ところによって違いのある初対面でのコミュニケーションの始めかたについて書いたのですが、そういえば、西のほうへ移住してからというもの、初対面でいきなり、「何歳なんですか?」と年齢を聞かれることが多くて、ちょっとびっくりしています。生まれ故郷の田舎でも、東京でも、そういう場面に遭遇したことがなかったので…。「名前は聞かないのに、年は聞くんだ…」というときも結構ある。もともと地元の人だけではなく、移住の人からもたまに聞かれます。主に男性。

年齢なんて別に、知られたってどうってことないことなので、正直に答えてるんですが、聞いたほうはたいてい、「へー若いんだ~」(逆は思っていても言われないだろうが)とか、そういう感想だけで、自分は年齢を言わない。聞くことは美しいことに思えないので、聞き返しませんが、この情報ギャップ、かなーり、不公平な感じがして、いや~な感じがします。

年齢って、聞いても負の結果しか生まないと思うんですよね。

年下のほうは、相手よりも年が下だとわかると、自分を低くする必要性を感じるし、年上のほうは、年上のほうで、自分のほうが年長者なんだから、相手よりも立派でなければならないなんていう変なプレッシャーに襲われたりもする。年齢差がわかった時点で、そこには埋めようのない格差が生まれて、対等な関係を築きにくくなる。仲が深まることがない。なんのために年齢を聞くんでしょう。

自分と比べるため? 年下の相手だったら、自分が相手と同じくらいの年齢のときには、相手よりも立派だったと優越感を感じるか、それとも相手よりも劣っていたと劣等感を感じるから? 

結婚してるとか、子どもが何人いるとか、職業上の役職(部長とか)などのステータスや、美貌や家や身なりなどの持っているものを比べたいの? 

年上の相手だったとしたら、自分の今と相手を比べて、自分のほうが優秀だと思いたいのか? あるいは、年が上だというだけで威張れるとか? 

同じ年だったら、「タメなんだー!」と共通点を見つけて喜ぶのか? 年なんか違ったって、ほかで共通点があったら、そっちのほうが会話が弾むんでないの?

私としては、年齢なんて結構どうでもいいんですよね。実年齢と精神年齢って全く別の物だから。目の前にいる相手が、どんな人間で、どんな人間になることを目指していて、今は何をしていて、今までどんな人生を歩んできて、何を考えてきて、何を感じてきて、何を大切に思っているのか、むしろそっちのほうが気になります。それらを知るには、年齢を知っても何も垣間見れることがありません。

もちろん、年齢を知って役に立つことも少しはあります。

好きな音楽の年代がわかって話題を振りやすいこと、星読みでは土星の外側にある惑星(滞在期間が年単位)や木星の影響を参考にできること、あとは、凝り固まっている思考があれば、それがどのくらい頑固なのかを知れること、変化の余地があるかどうかある程度判断できる(もちろん、何歳でも変わろうと思えば大きく変われるとは思いますが)ことなど。

でも、これらはあんまり大きく役立つわけでもなく、年齢を知るよりも、きちんと心を開いて相手と対等に向き合って得られる情報や波長なんかのほうが、ずっと相手のことを知るのに役立ちます。

あとは、日本人は、年上だということが明らかな相手は特にですが、役立ちそうな情報を伝えるとプライドに傷がつくようで、気分を害される方が多く、なるべく伝えないように気をつけるようになりました。それから、パートナー募集中の人がいるという相談を受けて、その人には相手に対する年齢の希望がありそうな場合には、その人に良さそうなお相手かも、と思った場合に、年齢を聞くことはあります。これは、あくまでも、必要性がある場合だけなので、ちょっと初対面で年齢を聞く理由とは違ってくるかもしれませんが。

年齢を聞く理由としてほかに思いつくのは、ですます調で話すべきなのか、タメ語(タメって同じ年って意味だもんね)でいいのかどうかが定まらないから、というのもあるのかも。関係性が定まらなければ、どの語調で話すのかも定まらない。年齢と語調のことを考えてみても、このことは、日本語という言語が、関係性に大きく縛られる言語であることを示しているのかもしれません。

私は基本的には年齢がわからない状態で話し始めるので、最初は年下でも年上でもですます調で、ある程度仲良くなってきたらタメ語(そっちのほうが仲良くなりやすいから)を混ぜてきて、相手がタメ語のほうがうれしそうだったらタメ語に完全移行、タメ語が不愉快そうならですます調に戻します。

個人の自由を愛する私としては、日本語という言語が持つ、こういう不自由さは変わっていってほしいなーと思います。言葉は文化や社会を反映するものだから、使う人が変わっていけば、どんどんよく変化させていけると思います。

でも、年齢をわざわざ聞かなくたって、相手へのリスペクトをきちんと表して、相手と自分が心地よいちょうどのラインで、語調を決めていけば、それでいいんでないでしょうか。東京では実際、年齢を聞かれたことはないけど、ですます調がよさそうな相手か、タメ語のほうがうれしい相手かを、お互いによく見極めて、うまくコミュニケーションが成り立っていました。年齢を聞かれてしまうと、年上のほうがタメ語で、年下のほうは「ですます調」という、段差のあるコミュニケーションが固定化することのほうが多くて、心の距離が縮まっていきません…。

まず、必然性がないのに年齢を聞くこと自体が無粋。そして、年齢差が明らかになった時点で、埋めようのない格差が生まれて、対等な関係を築きにくくなる。自分と比べたくて知ったとして、劣等感や優越感が生じるくらいのもので、何もメリットはない。ですます調で話すかタメ語で話すかは、相手への思いやりでクリアできる。そう考えてくると、やっぱり、初対面で年齢を聞くことは、心地よい関係を築く上では、マイナスの結果しかもたらさないと思います。