20160331

「戦場ぬ止み」を観て

【旧暦如月廿三日 春分 末候 雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)】

週末に近隣で上映会があり、三上智恵監督のドキュメンタリー映画「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」を観てきました。




20160329

「男らしく」「女らしく」生きなくていい。「自分らしく」生きたらいい。

【旧暦如月廿一日 春分 次候 桜始開(さくらはじめてひらく)】

よく一般的に使われる「女らしい」、「男らしい」という形容。

「男の子だから料理ができない」
「女の子なのに料理が下手」

「男の子だから車が好き」
「女の子なのに車が好き」

「男の子なのにピンクが好き」
「女の子なのに青が好き」

こういった表現もよく耳にします。「男なんだから泣くな!」とかはもう最低だと思う。泣きたいときは泣けばいいんですよ。「女のくせにそんな乱暴な言葉遣いして!」とかも、男も乱暴な言葉は使わないほうがいいのではないですか。

スピリチュアル系の人たちがよく使う、「男性性」「女性性」。占星術(いわゆる星占い)にもよく出てくる用語で、星座も男性星座、女性星座に分けられています。

こういう言葉には、とても違和感を感じます。というのは、この、「女らしい」「男らしい」「男性性」「女性性」といった言葉は、定義がとても曖昧ではっきりしない言葉であるにもかかわらず、生まれながらの性別によって、「どうあるべきか」を強制してくるものだからです。もう少し厳密な定義の言葉ではっきりと言われたら拒否感を感じるものであっても、「女性性」「男性性」などという言葉で語られると、はっきりしていないためになんとなく受け入れてしまったり、刷り込まれたりしてしまうのも恐いところだと思います。個性を阻害するものだと私は思っています。

男が外で働いて、女は家の中にいて家を守って、みたいな固定観念があります。スピリチュアルやマクロビの人間に対する陰陽論などでは、女が外で活躍すると、「男性性と女性性のバランスが崩れる」(というか、男性性が優位になるって意味でしょ?女が男化すると言わんばかり)と言われることもあります。

「女が外に出ることは、男になるということなのか?」
「外でさまざまな人たちと交流するのは男の役割なのか?」
「女は家の中を守ってこそ女らしいとされるのか?」
「でも、そういう考え方があるから、国会議員や、会社の重役に女性が著しく少なくて、結果、一般的に『男らしさ』『男性性』として良しとされているものをマインドセットとして持っている男性だらけになり、自然を大切にしたり、弱者を排除するのではなくて守ったり、多様性を大事にしたりといったことが、現状ではできなくなっているのでは?」
…などなど、すごく腑に落ちない。

「男性性」ってなんなんでしょう? 同じく、「女性性」ってなんなんでしょう?

洗濯をしながら相方に、疑問をぶつけてみました(うちでは洗濯は外で相方と一緒に手洗いをしています、詳しくはコチラ→)。

tom-tom: 女だからってバカにされたくないんだけど、私の好きなことってチクチクだったり、お絵かきだったり、料理だったり、いわゆる「女らしい」ことなんだよね。見た目も世間一般でいう「男らしく」はないし。どうしたらいいんかなー。

相方: チェーンソー振り回したら、結構男はビビるで。山の活動に来ている女の人も、女だからってなめられんようにかなり強そうにしとるで。女らしい素振りは見せたらあかん。恐いオーラ出しといたらええんよ。

tom-tom: えー、私、ちょっと外仕事しただけでも、疲れてまうのに。。。ダンベルで鍛えようかなー。

相方: ダンベルらてしたら、関節壊して終わりやで。バイク乗り回すとか。

tom-tom: バイク? 排気ガスで空気汚すのやだー。

相方: じゃあ、競馬。

tom-tom: やだ!馬が(ムチで)叩かれまくるのめっちゃかわいそう。

相方: ほんなら、酒とタバコとギャンブルと女(=女遊び)や。

tom-tom: お酒なんてちょっとで眠くなるのに。タバコも嫌いだし、ギャンブルもお金もったいない。

相方: 男らしいことってロクなもんないな。tom-tomが坊主になって野球帽とかかぶって、ぼくが髪伸ばしてみる?

tom-tom: なにそれー(*_*; それもさー、「男性性」に縛られた女と、「女性性」に囚われた男にならない? ほんとにしたいこととか、ほんとはどんな自分でありたいかを、世間一般の「男性性」「女性性」に縛られてあきらめちゃうのもなんか違うなあと思うんだけど。

相方: それもそうやなー。そんなん、みんなそのうち気づくんちゃう? スピリチュアルで男性性だ、女性性がどうの、なんて言ってる人たちも、行き切ったら(スピリチュアルの世界に行くとこまで行けば)いつか「あれ?」って気づくやろ。

まあ、これは大げさな例ですが、世間一般の人たちが使っているこの「男性性」「男らしさ」、「女性性」「女らしさ」という言葉の意味は、前者が「攻め」「能動」で、後者は「守り」「受容」といった感じなのでしょうか。もう少し言葉を足せば、男性性は、「攻撃」「征服」「支配」「勝負」といったところ、女性性は「共感」「協力」「隷属」みたいな感じ? うーん、やっぱりはっきりしない。

「男性性、女性性」とか「男らしさ、女らしさ」とかいう言葉で言うんじゃなくて、男でも協力的な人はいるし、女でも攻撃的な人はいるんだから、もっと厳密な形容詞とか、名詞とかを使って話せばいいのにと思う。

男性性は「思考」「論理」「社会的な承認」、女性性は「感情」「直感」「精神的なつながり」なんて言う人もいるけど、そんなの男性でも女性でもどっちも持っているし、「思考力」や「論理」も「共感力」や「直感」も、男性だからとか女性だからとかに関係なく、訓練すればある程度は誰でもできるようになるものだと思います。だれだって、どんな自分になるのかは、自分の意志次第でどうにでもなるものだと思います。

それに、こうした言葉は、LGBTQの人たちを排斥する言葉でもあるよなーと思う。LGBTQとは、L=Lesbian(女性の同性愛者)、G=Gay(男性の同性愛者)、B=Bisexual(男女どちらにも恋愛感情を持てる)、T=Transgender(心の性と体の性が一致しない人のこと)、Q=Queer(LGBTのどれにも当てはまらないけど、明確な異性愛でもなく、流動的であったりする)の頭文字をとったもので、性的マイノリティーのことです。マイノリティだからって含めないのってどうなの?と思いますね。

「男性性」「女性性」という言葉でいろんなことを片付けるスピリチュアル系の人たちは、この、男と女に対して社会的につけられた役割を、後付ではなくて、「宇宙の法則である」「神話の世界で描かれている」「古来からある占星術にも残っている」云々と言って、自然が与えた役割であるかのように語ります。しかし、これが自然が与えた役割だと言っているのはだれに聞いたのか定かではないし、聞いたにしてもそれが本当かどうか確かめようがないし、そもそも、神話や占星術ができたころ、社会を支配していたのは、今の時代よりも男性たちが主だったのだから、男性に都合のいいように作ったということもあるんじゃないのかな、と私は思う。もう少し新しい時代で、マクロビを体系立てた人も男性だし。

「男性性、女性性」という言葉は差別じゃない、みたいな無理矢理に説明しているのもありますね。「男性性の強い女性というのもいますし、女性性に傾いている男性という人たちもいて、必ずしも、男性だからこう、女性だからこう、というものではありません」とか。だったら、その言葉、使わなくていんじゃないの?って思う。ほかにいくらでも適切な言葉があるわけだから。「勇ましい」「たくましい」「目標をしっかり定めて進んでいく」「人の気持ちがわかる」「思いやりがある」「人の成功を一緒に喜べる」とか、もっと定義のはっきりした言葉を使えばいいんじゃないの? そうした言葉は、男性だからとか、女性だからとかにかかわらず、個人個人の特性を表すものになるはずです。

「男性性」「女性性」「男らしい」「女らしい」といったレッテルをつけるような便利な曖昧語は、せめて、自分なりの定義で語れるようになってから使わないと、おかしな方向に行っていることすら気が付かないし、おかしな方向に引っぱっていこうとしている勢力を助長したり、加担したりすることになってしまうと思います。

「女らしく」「男らしく」よりも、生まれながらのものについたレッテルに期待されるものにかかわらずに、「自分らしく」を目指せる、「自分らしさ」を自由に生きられる世の中になったらいいのになぁと思っています。

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20160328

人間以外の「おかげさま」

【旧暦如月廿日 春分 次候 桜始開(さくらはじめてひらく)】

「おかげさま」の気持ちが大事とかよく聞くようになったのだけど、人間に対してのことが多いような気がする。でも、人間以外の「おかげさま」もある。

食べ物や着るもの、使うものの素材などを提供してくれている自然界のさまざまな動植物や土、鉱物など無数の存在たちが、私たち人間の生命と活動を支えてくれている。今でこそ、「生態系サービス」なんていう言葉が当てられるようになったが、自然あふれる環境に住んでいる人々が、こんなにも自然の恵みに囲まれて暮らしながら、「なあーんもない」と嘆くことにも見受けられるように、人間は自然の恵みについて、とにかく忘れがちだと思う。

20160327

おかげさま

【旧暦如月十九日 春分 次候 桜始開(さくらはじめてひらく)】

たまにしか行かない町の初めて歩く通りをてくてく歩いていたら、神社にたどり着きました。凛とした出で立ちと、すっとした空気に吸い寄せられるように階段を上ると、たくさんの岩がありました。

手を合わせていると、ふと、「おかげさま、おかげさま」という言葉が浮かんできました。普段よく使っている言葉ではないので不思議でした。祭られていた巨石群の岩の一つに手を当てると、「一」という漢字が浮かんできました。

20160326

自分がしてもらってうれしかったことをまた別の誰かにパスしていくと、優しさが世界に広がっていく

【旧暦如月十八日 春分 次候 桜始開(さくらはじめてひらく)】

この前、行動のポジティブな連鎖について書いていて、香川に来る前に、いろんな人たちに温かく送り出してもらったことを思い出しました。

20160325

春分の次候は「桜始開(さくらはじめてひらく)」。桜が咲き始める頃。

【旧暦如月十七日 春分 次候 桜始開(さくらはじめてひらく)】

3月初めに撮った河津桜。満開でした
今日から七十ニ候は「桜始開」(読み:さくらはじめてひらく)に入りました。桜の花が咲き始める頃という意味になります。春分の次候に当たります。

近所の桜の花は、ようやくつぼみが少し膨らんできて、茶色の固いつぼみから淡い緑色の花芽が覗くようになってきました。写真の河津桜は今ではもう葉桜の趣きです。一般的には花は盛りに愛でる方が多いようですが、葉桜にも心惹かれるものがあります。花の名残りと、新緑の眩しさ、そして実を結ぼうとしている木のたくましさ。草花はどの瞬間にも、その時しか見られない美しさを見せてくれます。

おとといの夜、小指の先くらいの大きさのヤモリが今年初めて縁側に出没しました。暖かくなってきた兆しを感じます。夜行性のヤモリさん。まだ夜は寒いので、縮こまって動けなくなっていて、手を差し出すと、ぴょんと乗ってきて、手のひらの上で気持ちよさそうにしていました。温かくてほっとしたのかもしれません。ヤモリはかわいく思えるようになってきましたが、毛虫や蚊は、近づきすぎると痒くなったり腫れたりするので、まだちょっと好きになれません・・。ちょうどよい距離が保たれていれば、平和に共存できるのですが。それは人間も同じかもしれません。

20160324

悲劇は魂の選択か?を『引き寄せの法則』の原典から考えると―悲劇を終わらせるためにできること

【旧暦如月十六日 春分 初候 雀始巣(すずめはじめてすくう)】

先日、以下の記事を書きました。
20160312 悲劇は自分が引き寄せたもの?魂の選択?そんなわけないよ!の話。
この記事は、「悲惨な目に遭う人はそれを自分の思考によって引き寄せている」、「悲劇的な経験をする人は、それをこの世での修行や使命として選びとって生まれてきている」などという、特にスピリチュアル系の人たち(≠スピリチュアルな人。本当にスピリチュアルな生き方をしている人はこんな誤解はしない)によくある誤解を聞いて、考えたことを書いた記事でした。

「引き寄せの法則」というのがあって、スピリチュアル系の人たちには結構よく知られているのですが、これの曲解がそういうおかしな結論につながりやすいようです。

20160323

「足るを知る」は我慢を強要する教えではないと思う。

【旧暦如月十五日 春分 初候 雀始巣(すずめはじめてすくう)】

「足るを知る」という言葉は、いい言葉ですが、我慢を仕向けることにも使われます。

お腹が空いているのに「少しでも食べられただけよかったね」と思いなさい、とか、働いても働いても不当な賃金しかもらえないのに「仕事があるだけいい」と思え、とか、そういう意味で使われているのを見聞きすると、不公平や暴力を野放しにするのに、「足るを知る」を悪用しないでほしいなぁと思います。

仏教の教えだと思いますが、この言葉から、満足できない自分を責めてしまう人もいます。不満や改善してほしいことを率直に述べる人を非難するときに使われることもあります。

tom-tomの友人は、自分に向いていないと感じる仕事に就いてしまい、ほかの仕事を探そうとしていたら、親に「今の時代、仕事があるだけありがたいんだから。どんな仕事でもありがたいと思ってやりなさい」と言われて、転職を諦めています。今はどうしているかわかりませんが、私がこの話を聞いた頃は、ため息の毎日で、とても気の毒でした。これも、「足るを知る」に対する誤解が生んだ悲劇だと思います。

「足るを知る」というのは、今あるもので満足しろ、ということではないと思うのです。そうではなくて、もっと豊かに、幸せになるための思考法なのではないでしょうか。

最近、あるブログを書かれている方が、noteという作品を売買したりすることもできるクリエイター向けのSNSで小説が1本売れたことを、「だれだよ買ったやつ!マジでうれしー!」とツイッターでものすごく喜んでいました。かたや、10本売れて「10本しか売れなかった」と暗くなっている人もいます。

1本売れて大喜びしている人は、この後も、喜んでウキウキしながら作品をつくり続けると予想されます。かたや、10本売れてがっかりしている人は、「自分には才能がなかった」と諦めてしまったり、売れるものに迎合して陳腐なものを作り始めたりする可能性があります。

買う側としても、作品ができたということだけでも喜んで、ワクワクしている人からは買いたいと思うものですが、悲壮感が漂っている人からは、あんまり買いたいと思わないなぁと…。

前者のほうが、どんどん作品が良くなって、最終的にはたくさん売れたり、反響が大きくなったり、多くの人から喜ばれたりして、満足が大きくなるのではないでしょうか。

相方と一緒に本を作っていますが、相方は作品が書き上がっただけでも大喜びしています。和歌山弁で言う「うれし」という体質です。「うれし」とは何でも大喜びしてるんるんしている人のこと。東京弁では「うれしがり」という感じでしょうか。

「うれし」の相方は、作品が書き上がっただけで大喜び

和綴じの本に製本して形になるとまたさらに大喜び

自宅に飾っていたら、友人が発見して気に入ってくれてまたさらに大喜び

友人がまた他の友人に紹介してくれて、その友人も気に入って買ってくれてさらに大喜び

買ってくれた友人が自宅のカフェで販売したいと言ってくれてまたまた大喜び

…と常に現状をうれしがっていたら、高松のおしゃれな本屋さんでも置いてもらえることになり、どんどんうれしいことが重なって膨らんでいっています。

最近よく書いている「引き寄せの法則」でも、喜びや感謝の感情は波動が高く、そうした感情でいると、どんどん波動の高いポジティブな出来事が引き寄せられると言われています。「類は類を呼ぶ」という現象です。なので、ちょっとしたことでも大喜びできる人は、どんどんうれしいこと、ワクワクすること、感謝したくなるようなことを引き寄せて、最終的には多くを得る結果になると思います。

「足るを知る」人は、最終的には多くを得る人だと思います。多くの豊かさと幸福を手に入れるための考え方や態度であって、我慢できないような劣悪な環境や、命の危険にさらされるような不足に対して満足を強要する教えとして使われるのは、とても残念なことだと思います。

20160322

啓蒙思想のこと。

【旧暦如月十四日 春分 初候 雀始巣(すずめはじめてすくう)】

最近訳している文章で、ヨーロッパの哲学者について調べる機会がありました。

こうした哲学者たちが当時置かれていた境遇と、私が今悩んでいることが共通している、…と言うと大げさですが、そんなふうに思えました。

当時の社会では、キリスト教の教会の教えていることが、真実とそうでないものとがごちゃごちゃに混在した状態で盲信されていました。教会という権威が言うことに、「それってちょっと違うんじゃないの?」という異論を差し挟むことは、かなりのリスクを伴うことだったようです。

それに立ち向かっていくために、勉学を積み重ね、自分の考えを理詰めで組み立て、どんな反論にも対抗できるくらいの強度を持たせて、自分の考えを形成していったのが、当時の哲学者たちだったんだなぁと思いました。

私が今悩んでいることというのは、人々が権威の言うことだからと盲信していることに、自分が「ちょっと違うんじゃないか」と気づいた場合に、それを言うと危険が伴ったり、まわりから危険人物扱いをされたりする、もしくはそれが怖くて言えない、という問題です。

権威が言うからと盲信していることというのは、例えば、放射能は怖くない、食品添加物も農薬も危険ではない、原発を動かさないと経済が不況になるといった、富裕層と政治の癒着から生まれているさまざまな神話や、日本の固定的なジェンダー観、それから、祈っていればすべて解決する、ネガティブなことはネガティブな現実を引き寄せるから言ってはならないという考え方、占いによる決め付けなど最近のスピリチュアルの思想に関するものなどです。

信じたくないことまで信じなきゃいけないと思って信じている人もいるし、真実とそうでないものがありとあらゆるものに混在して混沌としているのに、「先生がいうから」「国がいうから」「みんなそうしてるから」って、自分の頭で考えて判断する権利を譲り渡してしまうってもったいなさすぎる。だれでも考える能力が備わっているんだから、どんどん使っていかないと錆びついてしまうし、どんどん自分の行動の自由、思想の自由を奪われてしまうと思う。

啓蒙思想も、権威を盲信したり、固定観念にがんじがらめになって、蒙昧になっている自分自身の精神を解き放とう、自分の頭で考えよう、自分の心で感じよう、という思想だったんじゃないのかな、と思いました。

ブリタニカ国際百科事典の説明には、
啓蒙思想:神,理性,自然,人間に関する観念が一つの世界観に統合され,多くの賛同者を得て,芸術,哲学,政治に革命的な発展をもたらした 17~18世紀のヨーロッパの思想運動。人間の可能性は,正しい「理性」によって切り開かれるもので,そこにこそ真実の認識と人類の幸福とを得ることができるという確信に貫かれていた。
とあります。

そう考えると、人間の思考力は当時からそんなに進歩していないと感じれられて、愕然としました。当時の哲学者たち、革命を起こした人々が、自分の理性を使って考える権利を勝ち取り、後の世代にその自由を与えてくれたのに、私たちはまだ、何かを盲信したり、他人の頭で借り物の思考している。さらに状況を難しくしているのは、盲信するテーマが、キリスト教の教会の教えだけでなく、
科学、経済、スピリチュアルと、多岐に分化していること。盲信する対象が増えただけで、自分の頭で考える人間はそんなに増えていないように思います。

放射能安全キャンペーンはその筆頭ですが、まともに機能してない科学によって裏打ちされた「権威の言うこと」をまだ盲信している人たちが多いというのは、人類が進歩していない証拠なのではないかと思ってしまいます。啓蒙思想からもう3世紀も経っているこの2016年という時代に、まだこんな状況かと思うと、焦燥感を覚えます。

自分の頭を使うって、結構負荷がかかるので、筋トレと一緒で結構疲れるんですよね。インプットだけでなく、アウトプットもするとなるともっと負荷がかかる。だから、つい、惰性で、流されちゃう。自分の頭を使うのをやめて、誰か権威の言うことを信じていたほうが大多数がそうだから楽だし、お墨つきがついているから安心していられます。権威の言うことを組み合わせて説明できる自分にも、権威がついているような錯覚に陥って、自己過信に酔いしれたりもする。盲信するって、一見楽で気持ちいいことに感じられるけど、長期的に見れば、自分の頭の体力はどんどん衰えて、簡単に騙されたり、落ちぶれたりしてしまいます。

ある程度までがんばって、意識して自分の頭で考える訓練を積んでいけば、自分で自分の人生を切り開いていく力もつくし、社会をよりよい方向に導くために役立てることもできる。それはとても気持ちのよいことで、惰性で得られる刹那的な気持ちよさとは全く満足感が違います。マラソンも一定以上行くと快感になると友人が言っていたのを思い出しました。

20160317

占いの存在意義とは何か。

【旧暦如月九日 啓蟄 末候 菜虫化蝶(なむしちょうとかす)】

昨日は、占いで落ち込んで学んだことについて書きましたが、その後、占いの存在意義ってなんだろう?と考えました。

占いは科学的な根拠がなく、「統計論」という説もありますが、個々の占い師の経験の域を出ないものだと思います。たとえば星占いでも、各星座ごとにどういう性格なのかとか、統計データはたぶん、どこにもないのでは。おみくじだって、引いてはみるけど、その後どうなったかを意識して観察している人っていないんじゃないのかな。

占いなんか信じずに、壁にぶち当たったり、悩んだりしながらも、自分で感じ、考えて、人生を切り開いていくというスタンスのほうが、正しいのかもしれません。それができる人はそれでいいんだと思います。tom-tomもなるべくそうしようと思っていますが、これでいいのかな?って自信が持てないときや、自分ってなんなんだろう?とわからなくなったときに、ちょっと占いを見てみたくなったりします。占いは長い間、人と共にある。共にあって、人間をそっと後押ししてきてくれたものだからなのかもしれないなぁと思いました。

科学で証明されているものもあるけれど、世界のほとんどはまだ科学では解明されていない。科学で説明のつかない何かはやっぱりある。それを別の思考体系で考えてみようとアプローチしてきたのが、数ある占いなのだと思います。星の動きから宇宙からのメッセージを読み解こうとしたり、音や数字で考えようとしたり、偶然ひいたカードのメッセージを読んでみたり。

こういう、本当かどうかわからないものだからこそ、自らを振り返るきっかけにできたり、自信が持てたり、一歩踏み出す勇氣が湧いてきたりするのかもしれません。論理的に導き出した事実だと受け入れられないことも、本当かどうかわからないけど、なんか本当っぽいものだと素直に受け入れられて、自分の力にできることもあります。

たとえば、「お前は頑固者だ。だって、あのとき譲らなかったじゃないか」などと具体的な事例とともに言われてもショックで素直に受け入れられないかもしれませんが、占星術などで、「太陽がこの星座にある人がうまくいかないときは、もしかすると何かを変えるということに抵抗を感じて、変わるべきときにも同じことを続けている傾向があるかもしれません」などと言われると、「うーん、そうかなぁ? あーそういえばそうかも。あのときもこうだったしなー。ちょっと意識して氣をつけてみよう」などと自分で考えるきっかけになったりします。もちろん、これも言い方が大事ですけどね。占いでも、「◯◯座の人は頑固。一度言い出したら譲らない」なんて決めつけて言ったらアウトだと思います。

また、占いは解釈の幅が広い象徴の言語で語られるので、それを思考の切り口に自分なりに考えを形成していけることもあります。しかし、解釈の幅が広いゆえに、人を傷つけたり、何かを諦めさせたり、悪い暗示をかけたりすることにも使われることがあります。

他者や外の世界に対して占いをする人は、相手の人生や世界をよりよいものにするツールとして、占いを使わないといけないと思います。おもしろ半分でやっていて、配慮のない言葉で人を決めつけて落ち込ませたりするような使い方はよくない。ノストラダムスの大予言みたいに、多くの人々を不安にして、負の思考を助長するようなものは最低だと思います。

宇宙や自然の精霊たちが伝えてくるメッセージは、普通の人間にはなかなか気づきにくいものですが、虫の知らせやインスピレーション、偶然よく見る数字など、さまざまな形で、宇宙や自然の精霊たちは私たちに気づくようにわかるようにメッセージを送ってくれているらしい。占いやカードなどもそうしたものたちとのコミュニケーションツールの一種だと思います。

宇宙や自然の精霊たちは、私たちがより楽しく幸せな人生を歩めるように、そして、この地球を素晴らしい楽園にするうえで自分の役目を果たせるように、全力でサポートしてくれているんだそうです。そう考えると、人を不安にさせたり、恐怖に閉じ込めたりするような占いの使い方は、本来の在り方、存在意義とは違うということだと言えるのではないでしょうか。

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20160114 星からの贈り物

20160316

占いに落ち込み、言葉の破壊力を知る。言葉のかけかたに配慮することって大事。

【旧暦如月八日 啓蟄 末候 菜虫化蝶(なむしちょうとかす)】

この前、珍しくだいぶ落ち込んだことがあって、回復に半月以上かかりました。こんなのはもう何年かぶり。

原因は、ひょんな巡り合わせでどういうわけか体験することになった数秘術。tom-tomは、占いがそんなに好きではなくて、いいとこだけ信じるようにしていますが、今回は、なんだか呪いにかかったみたいに落ち込みました。占いなんて明確な根拠はないし、相手も悪意があって言ったことではなかったのに、こんなに落ち込むとは。

数秘術は、話にはよく聞いていましたが、本格的に触れるのは初めてでした。生年月日や名前などから数字を出して、基本的な性格や、得意なこと、今回の人生での課題など、さまざまなことを読み解くものらしいです。

tom-tomは、マスターナンバーと呼ばれる「11」を持っていました。マスターナンバーは11と22(33と44を入れる流派もあるらしい)などのゾロ目のこと。「11」は講師の方の話では、「ザ・宇宙人」。「地球人とは波長が合わなさすぎて、地球にいるのが苦しくて苦しくて仕方がない人」「二面性がある」とのこと(*注)。おまけに、ソウルナンバー(誕生日を一桁にバラして全部足し、一桁になるまで分解して足した数。マスターナンバーが出たらストップ)に入っていると特に今回の人生に大きな影響を与えるという話でした。

今回の人生に大きな影響を与える数字が、「ザ・宇宙人」で「地球人とは波長が合わなさすぎて、地球にいるのが苦しくて苦しくて仕方がない」…。

これまでの人生を振り返ってみると、まあ、思い当たるフシだらけ。群れるのが嫌いだったり、社交が苦手だったり、大勢の人と過ごすと疲れて寝込んだり…ということもありました。「二面性」も、そりゃあ、そのままじゃあやっていけないこともありますから、ある程度うまくやるために、「顔で笑って心で泣いて」みたいなことはよくあります。若いころは人嫌いだったけど、克服しようとしてきたし、今も、せっかく地球に生まれてきたんだから、地球で人々との交流や共同の創造を楽しみたいと思っているのに、そう言われてしまうと、目の前が真っ暗になった気分でした。

こういう人付き合い上の不具合な点は、努力で克服できるものだと思っていたし、誰でもある程度は、自分を曲げずに、まわりに染まらずに、軸をしっかりして生きていこうと思ったら、ぶち当たる問題なんじゃないかな、と思っていました。それが、運命として数字に刻まれていて、どうしようもないですよ、と言われると…。

*注:あくまでもこの先生の説明であって、後日調べたところ、「波動の高い数字」「スピリチュアルな高度な学びを探求する使命を持つ」などとを説明されている人もいるので、落ち込まないでください!

このときは生年月日だけでしたが、あとで自分で調べたら名前にも含まれていて(名前にはもっと楽に生きられる数字が入っていることを期待していたのだが)、「もしかしたら画数はもう少し楽な数字なのでは?」と思って調べたら、画数も11で(数秘術は西洋のものなので画数は関係ないが)、11にこんなに囲まれていたのか。

前から気になっていてがんばっていい方向に持って行こうとしていたことだったので、ますます、「あー、私、宇宙人の波長だから地球人とは合わないんだわ…」と変な暗示がかかってしまいました。暗示(呪い?)を外そう外そうと思ってもとれず、かなり苦しかったです。まわりの人たちの固定観念に違和感を持つことなんて、いつものことなのに、「あ、まただ。私は11を誕生日にも名前にも持っているからこんなに合わないんだ」と過敏に反応してしまい、まわりの人の発言一つ一つにアレルギーみたいになってしんどくなってしまいました。

まだ呪縛に苦しんでいる間、自転車で走っていると、ナンバープレートが「11」「1111」の車が何度も通ります。もう、こういうときに限って…。そのたびに「地球で生きていくのが苦しくて仕方がない」「二面性」(これに拒否反応を感じたことで自分がintegrityをすごく重視しているんだとわかった)を思い出し、もう苦しいのなんのって…。傷が疼きだす感じ。もう「11」恐怖症に近い状態でした。

講師の先生は、悪気があって言ったわけではなくて、むしろ、マスターナンバーはすごくいい特別な数字だと思っているようでした。ご自身も持っているそうで、むしろどちらかと言うと誇らしげに感じられました。地球よりも宇宙のエネルギーを受けているから、ということなのか? なぜいい数字なのかは私にはよくわからないけど、数字で「特別」とか決めつけるような考え方は、差別につながりそうですごーく嫌な考え方だなぁと嫌悪感を覚えました。こういうのって、選民思想にもつながるし、嫌な考え方だわーと思いました。

あと、「6」もあったんですが、6は「博愛」の数字だけど、マイナスに出ると「見返りを求める」「嫉妬深い」とも言われていて、「はあ?それ愛と違うんちゃう?それは我執とか欲ちゃうん?」とモヤモヤ。

ほかにもいろいろあり、言い返してやりたいところもあったけど、tom-tomはそのまま正直に指摘すると、爆弾を落としたみたいになってしまうことが多く、ぐっと我慢。言い返せればもう少し楽になったのかもしれないけど、言い返せなかったので、ダメージだけ受け続けた形になり、大きくへこんだみたいでした。

友人に話すと、
「あら~、講師の方から受けちゃったんだねぇ。tom-tomがずっと持ってないでさ、もうお返ししたらいいよ。手放したらいいよ」
と優しいアドバイス。

人から受けた傷を癒やすのはやっぱり人の優しさです。

ただ、マイナスのエネルギーを受けてしまったら相手に返す、というので解決する問題と、そうでない問題もあるということを今回のことで学びました。今回のは、マイナスのエネルギーを受けただけでなくて、それがかなりのダメージを与えて、深い心の傷になってしまっていたので、癒えるのに時間が必要な問題だったようです。こういうケースでは、外傷がかさぶたになって治るみたいに、傷口を安静にして、日にち薬で癒えるのを待つしかないですね。目に見えない傷だから経過を見るのが難しいですが…。

個人的に効果があったのは、効いた順に、
・真剣に世界のことを考えて行動している人の話を聞きに行ったり、本を読んだりする(ポジティブなエネルギーにあふれているからかも)
レイキをかけてもらう(相方が3日くらいかけてくれました。凹んでいる自分からはあんまりレイキが出ていないみたいだったので、人からやってもらうほうが効果大でした。)
・よく寝る
・おいしいものを食べる
でした。もちろん個人差があると思いますが。

もう完全復活です(ブログの投稿も貯めておいてよかった)。言葉のかけかたって、本当に配慮がいるなぁと思いました。悪意のない一言でもこんなに回復に時間がかかるくらいのダメージを与えてしまうこともある。自分の望む楽園をつくるためや、相手のことを思って、どうしても言わねばならぬこともありますが、そうでない場合には、なるべく、言葉が与えうる影響を配慮した上で、それを言うかどうかを判断したほうがいいなぁと、勉強になりました。

数秘術については、たった一人の先生の教え方で、判断するのはよくないと思ったので、まだなんとも意見を形成していませんが、少なくとも偏見は持っていません。もう少しどういうものなのかしっかりと知った上で、自分なりの考えを持ちたいと思っていますが、後遺症が治ってからじっくり勉強したいと思います。しばらくは無理だなぁ。

20160314

「備えあれば憂いなし」の私と、「できたてをすぐに」の相方。真逆なところは多様性の尊重の訓練になっている。

【旧暦如月六日 啓蟄 次候 桃始笑(ももはじめてわらう)】

tom-tomは、備えがないと落ち着かないタイプの人間でして、実を言うと、このブログも、毎日更新できるように、書けるときにはいっぱい書いて、1-2週間先まで投稿を貯めてあります。仕事が詰まりすぎてブログを書けなかったり、体調を崩したり(どっちもめったにないのだが・・)したときに、自動更新できるブログ記事が貯まっているのと貯まっていないのとでは、全然安心感が違います。

安心していられるほうが、いいものが書けるような気がします。あくまでも自分の体感ですが。よく言う「火事場のバカ力」はたぶん出ない。パニックになって動けなくなるタイプ。よほど追い込まれたらすごい力を発揮するのかもしれませんが・・・。

相方はここのところ1日5本を目標に更新していて、1日遅れると10本、3日遅れると20本書かないといけません。今のところは遅れたことがないのですが、「それって心配にならないの?」と聞いてみたら、全くならないらしい。むしろ、書いたのにすぐに出せないほうが苦しいのだとか。日中忙しくて夕食後になってようやく机に向かう日でも、意地でも5本更新しているようで、夜中の1時過ぎまでかかっていることもあります。

相方は昔、給料日まであと10日以上あるのに全財産が1000円しかないみたいなときでも、全く怯えることもなく、のほほーんとしていることがよくありました。私は万が一何も仕事がなくなっても、最低3カ月は暮らしていけるだけの余裕がないと、不安になるタチで、預金の残高が10万円を下回るだけでもかなりの心労に。そんな相方を見ていると不安になることもありますが、羨ましくもあります。

どっちがいいという話ではなくて、どっちも違っているからバランスが取れているような気がします。どっちもいっぱい貯まっていないと不安、という感じだと、どうがんばっても貯められないときに、両方ともズーンと沈むだろうけど、私がズーンとなっていても、相方は「大丈夫、大丈夫、どうにかなるよー」と前向きなので、結構どうにかなったりします。逆に二人とも備えがなくてもへっちゃらでいたら、毎度毎度カツカツになっていそう。

私と相方は、似ているところもあるけど、こんなふうに真逆なところもあります。で、真逆なところは、無理に相手を自分と同じようにさせようとしたりせずに、そこは相手の特徴と考えて、不安で死にそうだとか、どうしても嫌だとか、退っ引きならない事情がなければ、相手なりのやりやすい方法、個性を活かせる方法を尊重するようにしています。

多様性があるからバランスがとれるというのは、私と相方の2人の間だけで考えてもやっぱりそうだなぁと思います。世の中もきっとそうなんじゃないのかなぁ。どっちかに偏りすぎたら息苦しいし、いいときはいいけど、行き詰まったりしたときになかなか解決策が生まれなかったり、どこまでもおかしな方向に突き進んだりしそう。人は人、自分は自分。それが頭でわかるだけではなくて、実践に落とし込めるようになるのって、結構難しいことですが、身近な人から訓練するのが第一歩かな、と思います。

20160313

食べられるブーケ

【旧暦如月五日 啓蟄 次候 桃始笑(ももはじめてわらう)】

友人のイベントにお呼ばれ。ちょっとしたお祝いを持っていきたくて、何がいいかなぁ、と相方と相談。畑ではちょうど菜の花が盛りなので、食べられるブーケを作りました。


布かペーパータオルかティッシュを水で湿らせて、切れ目に添え、アルミホイルでくるんでから、好みの包装用紙やクラフト用紙などに包み、根元を紐でしばってできあがりです。今回は麻紐を使いました。

咲いている分は飾って楽しんでもらえるし、飾らない分は食べて楽しんでもらえます。相方が「ぺんぺん草(ナズナ)もどうやろ!?」と採ってきてくれたので、アクセントに入れました。ナズナの白に合わせて包み紙を白にしてみました。

もう少しあたたかくなったら、ハーブがいっぱいになるので、「ハーブティ・ブーケ」「バスタイム・ブーケ」も作りたいです。パクチーもいっぱい生えていて、大きくなったらコリアンダーもにょきにょきになりそうなので、スパイスブーケもそのうちできるかも。妄想しているうちに、「あれ?「ブーケ・ガルニ」って煮込み用ハーブのブーケやん!」とも気が付きました。

写真を撮っていたら、足元に四葉のクローバーを発見したので、リボン結びをしたところに差して飾りに。

オーガニックワインやお菓子を買ってくることも検討しましたが、どこにも売っていないオリジナルなギフトを作るのも楽しいですね。「あるもんで」のギフト、喜んでくれるかなぁと思いながら包む時間もいいものでした。「見つからない!」「ああ、もう時間がない!」「予算オーバーだぁ(涙)」みたいな悩みに煩わされることがないのもうれしいところです。選ぶのも楽しいですけどね~。

20160312

悲劇は自分が引き寄せたもの?魂の選択?そんなわけないよ!の話。

【旧暦如月四日 啓蟄 次候 桃始笑(ももはじめてわらう)】

スピリチュアル系の人の中にはときどき、

「悲惨な目に遭う人はそれを自分の思考によって引き寄せている」
「悲劇的な経験をする人は、それをこの世での修行や使命として選びとって生まれてきている」

などと言う人がいます。先日もそんなことを流布しているスピリチュアル系の講師に遭遇してものすごく憤りを感じました。

原典は何かはっきりしませんが、恐らく、引き寄せの法則(*)、輪廻転生やカルマなどの考え方、あとは、魂が親を選んで生まれてくるという考え方などがミックスしているんだと思います。

「田中龍作ジャーナル」の震災5年の記事から。「ウソが大手を振って歩くようになった」。ウソがわかる人も増えました。

さっき、東日本大震災から5年と題した記事を書きました。

いろいろ調べていて発見した田中龍作さんの震災5年の記事が素晴らしかったのでご紹介します。
原発事故から5年 ウソが大手を振って歩くようになった(田中龍作ジャーナル 2016/3/11)
お恥ずかしい話、私は震災後すぐに目が覚めたわけではなかったのです。原発事故後、2週間くらい東京から和歌山に避難しましたが、戻ってきてからは「まあ、食べ物に気をつけてたら大丈夫だろう」「昆布食べまくってたら大丈夫だろう」「イソジン飲めばいいって話だけどどうしよう?」とか、そんなレベルで、政府が真実を語らないことや、マスコミが政府のチェック機能を果たしていないこと、原発の問題などなど、さまざまなことについては、1年後くらいになってようやく知識が追いついてきて(まだ追いついていないような気もする)、遅れてショックがやってきました。

イソジンの話は、有名な環境ジャーナリストの方がメルマガで言っていたのを、環境問題関係の仕事の経験が長い知人が教えてくれたので信じそうになりましたが、身体さんが「いやー!絶対無理!イソジンって何でできてるか知っとんのかー!!」と拒否反応を示していたので、身体さんの声に従いました。後日、デマだったことがわかったので、身体さんの声と直感ってすごい、と思いました。また、発話者の肩書きや経験だけで判断しては危険というのも学びました。

前述の記事にある、
放射能が飛び散るように、マスコミの実態は広く社会に知れ渡った。事故発生当時、東電の勝俣恒久会長が記者クラブを引き連れて中国旅行に出かけていたことは、その象徴でもあった。
記者会見で田中の質問に勝俣会長は「旅行費の大半を東電が持っていた」ことも認めた。しらばっくれると思っていたが、予想に反して事実関係を すんなり 認めたことはさらに驚きだった。
については、今初めて知りました。なんか、もう言葉が出ません。原発事故について、東電に都合の悪い報道をしないように、記者クラブ(政府や公的機関などからの情報は記者クラブにしか配信されないこともある。小規模メディアやフリージャーナリスト、海外報道機関は排除されている)を中国旅行に連れて行くなんて、汚すぎます。会長さんは事故の対応もせずに、海外旅行? 住民に避難指示は出さずに、海外に避難していたの? こんなときに誘いに乗ってほいほいと旅行に行くマスコミもひどい。
「コンクリートから人へ」を掲げて政権に就いた民主党は、マスコミ同様電力会社に頭があがらなかった。「電力総連」は民主党の支持母体である連合の主導権を握る存在だ。
これも、そういうことだったんだなぁ。民主党にはいい仕事をしてくださっている議員さんもいますが(例えば玉木雄一郎さんや山尾志桜里さんなど)、参議院選までに民主党は変われるんだろうか?

すでにさまざまなことを知り尽くされていた田中龍作さんには、この5年がこんなふうに見えるんだなぁ。

私は全く知らないことだらけだったところに、震災があり、あとになって次々に新しいことを知って、ショックの連続。今までの自分の無知や、この国の主権者である一国民としての責任を果たしてこなかったことなどを悔やんで、本もたくさん読み、自分で情報を取りに行き、さまざまなメディアを比較するようになり、自分でも発信をするようになりました。

さまざまな情報に触れるなかで、買うものの選択も変わりました。企業を支えているのはやっぱり消費者だから。原発メーカーからはいっさい買いません。武器輸出メーカーからも。生活で選択でのインパクト、発信のインパクト。小さくてもコツコツ、積み上げていったら大きくなるんじゃないかなと思って、この数年を過ごしてきました。

この数年、少しでも遅れを取り戻そうと情報収集を始めました。原発の問題だけでなく、TPP、遺伝子組み換え、基地の問題、オスプレイ、貧富の格差、社会福祉の切り捨てと戦争の関係などなど、本当に多くの問題と、それらが根っこではつながっていることを知りました。それらがわかってきたので、今は、「ウソが大手を振って歩くようになった」の意味がわかります。

今日は母と電話で話していて驚きました。ネットを全くしない母ですが、安倍政権のウソ、原発のウソを鋭く見抜いているのです。実家でとっている新聞は、ジャイアンツファンの父の独断で、ずっと読売新聞なのに。私がいろいろ話してきたおかげももしかしたらあるのかなぁ、なんて思いました。

ウソを見抜けるようになった人たちも多くなったんじゃないでしょうか。これからは、ウソを見抜けるようになった人たちが、デモや署名などで声を上げる、マスコミを厳しくチェックして、育てていく、質問力や調査力に優れていたり、国民の声をきちんと聞ける議員さんを応援していく、大企業の声ではなくて市民の声を代弁できる議員さんに自分が立候補するor応援して増やすなど、アウトプットというか、行動につなげていくフェイズに入っていくときなのかな、と思います。

すぐにデモは厳しい・・・という人ももちろん多いと思います。私もまだちょっと苦手です。叫ばなくてもいい気軽に参加できる大デモみたいなかっこいいスタイルのデモがあるといいのですが・・・。主催する勇気もまだありません・・・。こういう活動は続けられることが大事だと思うので、自分に合ったやり方を探るのも大切だと思います。

身近な人と政治について語り合うだけでも全然違うと思います。実名での発信に抵抗があったら(私も匿名にしています)、匿名のブログで考えていることや、知ったことを発信するのもいいと思います。つい最近も、匿名のブログが大きなうねりにつながりましたね(「保育園落ちた日本死ね」と苦しみを綴った母親のブログを、民主党の山尾しおり議員が国会で取り上げ、自民党からの「誰が言ってんだよ」のヤジに、「保育園落ちたの私だ」と書かれたプラカードを掲げて国会前で抗議。オンライン署名も)。個人の発信の積み重ねと広がりが、世の中を大きくいい方向に変えていけると思います。

最後になってしまいましたが、忘れてはいけないことがありました。田中龍作さんみたいに命がけで真実を伝えてくれているジャーナリストさんたちを金銭面で応援していくことも早くできるようになりたい。こんな素晴らしい記事をタダで読ませてもらって申し訳ないです。お金をもっと稼ぎたい。

20160311

東日本大震災から5年。

【旧暦如月三日 啓蟄 次候 桃始笑(ももはじめてわらう)】

2011年3月11日の東日本大震災から今日で5年。せめて、風化させてはいけないという思いで、今日は、常々気になっていたことを調べて書きたいと思います。

朝日新聞によると、今も17万人以上の方々が避難生活を送られているそうです。仮設住宅の入居戸数は5万戸以上。災害公営住宅の建設は、人件費の高騰などで建設が遅れていて、3万戸弱の計画のうち半数に満たない1万4042戸にとどまっているそうです。

オリンピックなんかやってる場合じゃないと思います。ロゴのデザインやら、国立競技場やらにそんなにお金が払えるんだったら、何軒家が建っただろう。オスプレイ17基も買ってないで、まともな住宅早く作ろうよって思います(参照→しんぶん赤旗2015/5/8「日本にオスプレイ17機売却 社会保障費削減分に匹敵 総額3600億円 想定価格の2倍超える 米国防総省 議会に通知)。3600億円あったら何軒建ったんだろう。

原発災害で避難されている人々の数は、Greenpeace Japanの今日のブログによれば、およそ10万人
東京電力福島第一原発事故によって、14万6,000人もの方々が住み慣れたふるさとからの避難を余儀なくされ、そのうちおよそ10万人の方々が今でも元々住んでいた場所に帰還できていません。いくつかの地域では今なお高い放射線量が継続して測定され、帰還政策を進める政府はありのままの情報を伝えていません。(Greenpeace Japan blog 2016/3/11 東日本大震災、福島原発事故から5年ーー原発事故は終わっていないより)
受け入れ先の県ごとに地元の新聞社などが統計を出しているところもありました。私も東京が原発からの放射能で汚染されたので、香川に逃げてきました。こちらで知り合った原発災害避難者の知人も多いです。

Greenpeaceのブログに「帰還政策を進める政府」とありましたが、避難者に対する政府の対応は無情です。強制帰還政策は本当にひどい。以下の田中龍作さんの報道で、「オリンピックがあるから(「復興している」と)外に向かって言うために(私達を)福島に戻すのか?」と政府を追及する原発災害避難者さんと、他人事のような顔で紙を読み上げる若手官僚たちの対比に心が折れそうになりました。本当に許せない。東京でオリンピックするなんて逃げてきた私からしたら信じられません。
原発避難者の住宅支援打ち切りはオリンピックのためだった 政府「方針変わるものではない」(田中龍作ジャーナル2016/3/2)
関連してこんな記事も。
この国の政府は、原発避難者を「消滅」させようとしている――フクシマ5年後の真実(現代ビジネス日野行介氏)
官僚の血も涙もない鉄の仮面に、以下のきっこさんの書き起こしを思い出しました。福島の農家の方の質疑に読み取れる、安全な食べ物を消費者に食べてもらいたくて作っているのに、それが東電の事故による放射能汚染でできなくなってしまい、出荷できなければ食べていかれないし、出荷すれば自分でも食べないような汚染の危険のあるものを食べさせてしまうという農家さんの苦悩。これは多くの人に読んでいただきたい記事です。
「俺らはわかってる。だから私は食べない」「自分の子供に食べさせたいと思わないでしょ?」「風評じゃない!根にも葉にもある」2013/6/6東電・政府交渉(内容書き出し)
東京新聞の調べによると、原発関連死で亡くなられた方の数は1368人に上り、この1年で136人増加しました。原発さえなかったらと本当に悔やまれます。

チェルノブイリ原発事故でも子どもたちに甲状腺がんが多発しました。福島では、県が実施する健康調査で166人が甲状腺がんやがんの疑いとされ、5人はがんが確定しています。御用学者さんたちは「原発事故との関連性は考えにくい」の一点張りですが、私にはどう考えても、これだけ多発しているのだから、ないとは言い切れない、むしろあると思ってちゃんと調べたらどうなんだと思います(ご参考→)。朝日新聞の報道によると、甲状腺がん患者の家族会が発足したとのこと。つながりが大きくなって、立ち向かう勢力になっていけたらいいなぁと思います。

『女性自身』が福島の保護者の方々にアンケート調査を行なった記事もありましたので、ぜひ読んでみてください。
福島の保護者たちにアンケート詳細、そこにあったリアルな声(女性自身 2016年03月08日)
芸人さんでフリージャーナリストのおしどりマコ&ケンさんの調べによると、今なお、東電福島第一原発からは大気中に毎時数10万~数100万ベクレルの放射能が放出されているそうです。
北朝鮮からの「仮定」の毎時 1Bqの放射能拡散予測は迅速に発表された。

福島第一原発からの「実測」の毎時 数10万Bq~毎時 数100万Bqの放射能拡散予測は発表されない。(*)
*筆者注:2015年12月の「追加的」放出量は、毎時57万Bq未満。グラフをよく見ると2015年の追加的放出量は、10の5乗から6乗の間を推移している

隣国の地下核実験より、国内の原発事故の方が、はるかに影響は大きいが、その評価はされないのが現状である。
おしどりポータルサイト2016-01-22「隣国の核実験より、国内の原発事故の情報を!! 」より
毎日海に放出されている放射能の量は、おしどりさんが第33回特定原子力施設監視・評価検討会の資料を調べた結果、
・トリチウムは150億Bq/日
・ストロンチウム90は27億Bq/日
・セシウム137は12億Bq/日。
・セシウム134は4億1000万Bq/日
(2014年4月16~2015年2月23日の314日間の平均)
おしどりポータルサイト 2015-03-25「毎日、海に流出している放射性物質の最新評価値」より
とのことです。

放射性物質は今も出続けているので、風向きや雨で運ばれて、今も汚染は広がっています。除染しても、蓋をしない限り出続けているのでまた汚染されてしまう。汚染状況は全く把握しきれていません。

本来は国がきちんと責任をもってやるべきことですが、民間や市民の活動で、次々に驚くような汚染が明らかになっています。

最近のものでは例えば…
首都圏 汚染ごみ2.3万トン(脱被ばく実現ネット 2016/3/11)
放射能汚染ー32カ所が基準超え―東京東部で市民団体調査 JCP-TOKYO · 2016年2月1日 
「女性自身」が驚愕の原発汚染調査報告! 福島の小中学60校の8割で「放射線管理区域」を上回るセシウム(リテラ2016.03.09)
原発事故から5年目、横浜では小学校に放射性廃棄物を保管!学校地下に鉛のドラム缶!一キロ8000ベクレル超えも!(ANNの報道を基に書かれた個人ブログの記事)
以上などはたまたまわかったので、対策をとる余地があるだけまだましかもしれませんが、無責任な大人たちが推進してきた原発に、一度も原発に「YES」or「お任せします(=棄権/考えずに投票)」と言ったことのない子どもたちが被害を受けるようなことは絶対にあってはならないと思います。

被災者だけではなく、原発のことは国民全体の問題だと思います。全国に54基も作ってしまった原発をどうしていくのか、みんなで考えていかないといけないと思います。こんな試算結果もありました。
日本政府は福島原子力発電所事故の費用は東京電力が負担していると主張しているが、フィナンシャル・タイムズ紙(FT)の試算では、同事故による日本の納税者の負担は約1000億ドル(約11兆4000億円)になる。(日経新聞2016/3/7「[FT]福島原発事故の国民負担は約11兆円」より)
今、政治状況は最悪だし、無関心な人たちの様子を見ていると、もう参議院選どうなっちゃうんだろうって心配になります。刹那的に自分さえよければいい、とか、考えるのめんどくさいみたいの、もうやめようよ、って叫びたくなるし、スピリチュアルボケで、祈ってればすべて解決するとか、ポジティブシンキングで気持ちよくなってればそれで解決するみたいなことで思考停止になっちゃってるスピ系の自然派にも焦燥感を覚えます。

それでも、安保関連法案に反対するママの会(mothers against war)が全国各地で発足したり(香川にも3月3日にできた)、SEALDsが素晴らしい活動を広げてくださっていたりと、若い人たちや女性たちが声を上げはじめています。デモに参加したり意見を言ったりする人も増えてきたような気がします。着実にポジティブな変化は見られます。あきらめないで、誰もが人間らしく生きられる世の中をつくっていくために、地道にできることを続けていって、連携も広げていきたいと思います。

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20160312 「田中龍作ジャーナル」の震災5年の記事から。「ウソが大手を振って歩くようになった」。ウソがわかる人も増えました。

20160308

命令形の本に思う。みんな、そんなに命令されるのが好きなのか?

【旧暦睦月丗日 啓蟄 初候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)】

本屋さんに行くと、「服を買うなら、捨てなさい」、「置かれた場所で咲きなさい」、「今すぐフォロワーはやめなさい」「腹が立ったら怒りなさい」「1日3食をやめなさい! 」などなど、命令してくる本が目につく。

今はこんな本が売れるの?

もしそうだとしたら、みんな、そんなに命令されるのが好きなの?

20160306

自分を信じることと他人を信じること。根っこでは一緒なのでは

【旧暦睦月廿八日 啓蟄 初候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)】

自分を信じることと、他人を信じることとは、矛盾しているように見えて、実は根元では一緒なのではないだろうか。イケダハヤトさんの記事を読んで思いました。
まだ東京で消耗してるの?:「イケダハヤトは『信者』からカネを巻き上げている」と中傷してくる人への最終回答。
イケダハヤトさんはとても多くの人々に読まれているブログを書かれていて、最近、noteというプラットフォーム(*)でコンテンツを有料販売するようになったところ、「信者からカネを巻き上げている」というような中傷を受けたそうです。

そうした中傷に対するご自身の見解について書かれた上記の記事で、「信じることは、いいのか悪いのか」という問題提起をされていて、深く考えさせられました。

20160304

素直に謝れない人は自分をまっすぐ見られない人。

【旧暦睦月廿六日 雨水 末候 草木萌動(そうもくめばえいずる)】

素直に謝れない人は結構いるもの。人間は完璧ではないので、勘違いやすれ違いがあったり、悪意がなくても嫌な思いをさせてしまったり、ちょっと魔が差してわるいことをしてしまったり、余裕がなくて失礼なことをしてしまったり、誰にでも間違いはあると思います。

大事なのは、自分の間違いに気がついたときに、きちんと反省をして、必要ならば謝罪をして、次からは気をつけよう、と行動や言動を改められること。これができない人は結構多く、素直に謝ることもできなければ、自分を次の段階へ持っていく努力をすることもできません。

逆ギレして優位に立とうとする人、わだかまりをとかずにしれっとしてる人、形式的に謝ってその場をしのごうとする人、他人に自分の罪をかぶってもらって逃れた気になっている人…。昔は腹も立ちましたが、最近はそうでもなくなりました。

20160303

男性が家事をするのが、女性と同じくらい普通になったら、命を大切に考えられる男性が増えてくるのではという仮説

【旧暦睦月廿五日 雨水 末候 草木萌動(そうもくめばえいずる)】

昨日までの記事に書いたような男女の役割に関する固定観念について、相方と話していたら、相方がとても重要なことを指摘しました。

男が外で働いて、女が家の中で家事をするものという固定観念が日本ではまだ根強いです。

共働きで女も外で働いていても、男は家事を免除され、女が家事をするのが当然、という現代社会に主流の固定観念があって、男は食事をつくることはイレギュラーなこと、とされているから、健康な身体をつくるには何を食べたらいいのか、何をしたほうがいいのか、男はわからない。

だから、食の問題や放射能汚染に女性が気づいて、子どもと家族を守るために、より安心できる選択をしようとすると、男性と意見が合わずに、家庭崩壊につながったりしてしまう、というような指摘だったと思います。

男性は本当に、「どうして?」と思うほど、食に無頓着な人が多い。もちろん、全員ではないですし、徹底的に気をつけている男性や、情報通の男性も知っていますが、一般的に見て、割合はものすごく少ない気がします。

映画「小さき声のカノン」(感想12)でも、子どもたちを被ばくから守ろうと必死になっているのは女性が圧倒的に多かったです。まわりでも体感的に女性が圧倒的に多い。男はなんで健康を、命を大切にしないの?

農薬や化学物質、放射能汚染、電磁波など、さまざまな社会の毒から家族を守ろうとする女性を、「非論理的」と言って攻撃する男性もいます。ジャンクフードや、毒々しい色の食べ物を子どもに与えているお父さんを見かけるとぞーっとするし、そういうお父さんに困っているお母さんの悩みもよく見聞きします。

「子どものことが大事じゃないの?」
「命が大事じゃないの?」
「なんでそんなことするんだろう?」
と、いつも不思議でならなかったのですが、男性は日常において、食や命について考える機会が、女性に比べて圧倒的に少ないため、考えることができない、あるいは、どう考えていいかわからないのかもしれません。あるいは、わかる必要がないと思っている?

そういう毒を怖がるのは、男のすることではない、という強がりもあるのでしょうか。(*これについては過去にも→[5段落目])。「そんな毒、俺には通用しないよ」というマッチョな自信なの? そんなことを根拠なく言い切るほうが非論理的に私には思えます。放射能汚染や農薬の情報に触れているはずなのに、「僕は(放射能)怖くないですね」「添加物?気にしませんね」と言う男性もいて、もんのすごくびっくりします。

「君子危うきに近寄らず」という格言がありますが、避けられるものは避けるのが賢明というもの。マッチョぶって病気になったら何にもならないんじゃないの?

男性がもっと家事を普通にする世の中になったら、普段の生活の中で、お金よりも命のことを考える時間が増えていくので、命を大切に考える男性も増えていくような気がします。

女性を家事から解放しろ、ということではなくて、女性が家事をするのが当然で、男性が家事をするのは女々しいとか、そういう女と家事を結びつける(さっきから女と家を並べてたら「嫁」に見えてきた・・・嫁って言葉の恐ろしさを再認)考え方に縛られるのではなくて、男性も一人で生きていたら家事はするんだから、平等によく話し合って、お互いに納得のできるスタイルを見つけていったらいいんじゃないかと思います。

うちは相方といつも共同作業なので、同じ知識レベルで食べ物の話ができて、ものすごく楽しいです。買い物に一緒に行くのも楽しくて、旅行に行ったら決まって、地元のスーパーや産直を覗いて、地元の人の食文化を見るのも二人で楽しんでいます(*)。畑に何の種をまこうか考えるのも一緒にできて楽しい。何を食べたら健康になれるかも二人でよくディスカッションするし、食べてみての実験結果をお互い見ながら食を変えていっているので、食のことでケンカになることはまずありません。

食の問題は、環境問題にもつながっていくし、世界の飢餓の問題、労働搾取にもつながっていく。
食に向き合うことは命と向き合うことです。相方は男ですが、家事を通じて日常的に命と向き合っている。なので、ものすごくバランス感覚がよいです。いいものを食べているから、頭のキレも良いし、ユーモアもある。いつもハッピーでおおらか。

もし私が先にこの世を去ったとしても、相方は健康的に生きていけるという安心感もあります。150年くらい生きる気でいますけどね。

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我が家の家事分担について。家事は分担よりも共同作業が楽しい。

【旧暦睦月廿三日 雨水 末候 草木萌動(そうもくめばえいずる)】

今日は、我が家の家事分担についてお話しします。

私は女なので、世間一般では、当然家事をするものと思われる方が多い。

「普段はtom-tom(私)が料理するんでしょ?」
と素敵女子にも平気で言われます。

香川在住のブロガーのヨスさんがこんな記事を書かれていました。
ヨッセンス:いいかい? この国では女性差別が呼吸するように行われているんだよ
本当に、空気を吸うように男女差別が行われていると思います。