20151129

今日は小さき声のカノン―選択する人々を見に行ってきます

今日は高松でこの映画を観てきます!鎌仲ひとみ監督の最新作です。

小さき声のカノン 公式HPはコチラ
小さき声のカノン―選択する人々
http://kamanaka.com/canon/

*お近くの上映会情報はコチラでご覧になれます。
http://kamanaka.com/theater/

*高松での上映会情報はコチラ→http://kamanaka.com/theater/area05/5389/
鎌仲監督もいらっしゃるそうです。

お近くの上映会、お時間あったらぜひ^^ また感想ご報告しますー。

20151126

火鉢の季節

11月とは思えないような暖かい日々が続いていたのに、急に寒くなって火鉢を出しました。


ぬくぬくです。木の長火鉢は足元が寒いけど、金属の手あぶり火鉢は、金属を伝わって足元にも熱がくるので、まわりにいればかなりあったかいです。隙間風がなければ、部屋全体も温められると思うのですが・・・。

手あぶり火鉢は軽っこいので、移動できます(鍋つかみミトンを忘れずに)。玄関でお隣さんと火鉢を囲んで話し込む。炎見ながらだとなぜか深い話に。ゆったり流れるいい時間はプライスレスです。

やかんもかけられます。



お湯もわいて身体もぬくもる。炎を眺めて心も温もる。火のある生活はいいものです。薪ストーブも欲しいなぁ。

幸せな人が増え、視野が広ってより高いレベルの幸せを考えられる人が増えると、世界は良くなるという仮説

【旧暦神在月十五日 小雪 虹蔵不見(にじかくれてみえず)】

尊敬する活動家の田中優さんがよく運動のタテ・ヨコ・ナナメの話をされます。タテは政治、ヨコは市民に広げる活動、ナナメはそれ以外。

私はナナメを考えるのが好きです。

ナナメの方向の一つとして、最近相方と話していて、どっちか(定かではない)が閃いたことがあります。それは、幸せで満ち足りた人を増やすこと。これなら小心者の私でもできると思いました。

「社会問題とかってあんま興味ないんだよね~」ってかっこつける人(私から見るとかっこよくないが)、スピリチュアルボケしちゃっている人、「どうせわかんないしー」って愚かなフリをする人の共通点は、自分の心が満たされていないことです。

自分がハッピーじゃない。思考が自由じゃない。だから、自分のこと、自分の周りの狭い範囲のことで頭と気持ちがいっぱいいっぱいになって、地球の環境や社会のことに目を向ける余裕がないのです。視野が狭すぎる。でも、それでいっぱいいっぱいなのもわかる。自分もかつてはそうでした。こういう人たちは、まずは自分が幸せになる必要があります。

反対に、社会の問題にまっすぐ目を向けて行動をしている人たちは、自分は恵まれているという感覚があるみたいです。自分が幸せでたまたま恵まれた境遇にあるから、たまたま不運な状況にある人たちを少しでも早く楽にするためにできることをしたいと思っているように見えます。

そして、世のため、人のための活動をすることでまた、心の中に活力が生まれる。腹の底から力が湧いてくる。すっごくいきいきしていいオーラが放たれている感じがします。東京時代、宇都宮けんじさんfacebooktwitter)を生で見たことがありますが、まさにそんな感じがしました。

自分が幸せで満ち足りている人は、自分に降り掛かってくる問題に対処する時間が、そうでない人たちよりも少なくて済み、もっと大きな視野で世界の動きと自分のつながりを俯瞰して、考え、行動に移すことができます。環境問題、戦争、政治の状況、低い投票率、貧困、労働問題、ジェンダーの問題、不自然な食べもの―こうした問題は、実際、他人事ではないのです。巡り巡って、自分の生活の不安要素になってしまうからです(これについては環境の面でですが、過去に「エコ=エゴ?」という記事を書いています)。

だから、幸せで満ち足りた人を増やすことができたら、その人たちはきっと、頭と心に余裕ができて、もっと高いレベルでの幸せ、世界全体の幸せを考えるようになって、行動に移せる人も増えていくと思います。

幸せで満ち足りた人を増やすこと。方法はいろいろあると思います。だれかの悩みを聞く、(とくに当たり前のように扱われている人に)感謝をする、ほめる、笑いをおすそ分けする、本来の自分の望みに気づく手助けをする、いいところに気づいて本当の自信をつけてもらう手助けをする、今ある豊かさ、幸せに気づくきっかけをつくる、などなど。孤児院で奉仕活動をしているうちに、自分がすでに持っている幸せに気づけるようになったという人の話も聞きました。そういう機会をつくるのも一つの方法かもしれません。そこから、自分と広い世界との関連を考えられる人たちが増えていったら、世の中はもっともっとよくなる。これもナナメの方向の一つかなと思います。

20151124

日本の奨学金制度について考えてみた。うーん、デンマークがうらやましい。

リテラにこんな記事が出ていました。
これでも奨学金は自己責任なのか? サラ金より過酷な取り立て、巨額延滞料、それでも借りるしかない現実!(リテラ 2015.11.24)

こんな本が紹介されていました。読んでみたいと思っています。

日本の奨学金はこれでいいのか! ―奨学金という名の貧困ビジネス


日本でもようやく少しずつ話題にされるようになってきた日本の教育支援体制の問題点。そもそも、日本の公的な奨学金は貸与型なので「奨学ローン」と呼ぶのが正しいようです。
"利子がつくか否かにかかわらず、返済しなければならない「奨学金」のことを、外国では「教育ローン」と呼ぶそうだ。日本の奨学金の概念は、国際標準からズレているらしい。"
夢をかなえようと借りた奨学金を返すために、夢をあきらめる不条理(マガジン9 2011.2.2)より
以下のグラフはOECDが2013年に発表した「図表で見る教育」からのデータです。縦軸が大学の学費の額(上に行くほど高く、下にいくほど安い)、横軸が公的な奨学ローンまたは奨学金(給付型)の恩恵を受ける学生の割合(右へ行くほど多く、左へいくほど少ない)です。

OECD「図表で見る教育」日本カントリーノートより
日本は、ポツンと左上のゾーンにあります。つまり、学費が高くて、奨学金などの教育支援が少ない唯一の国だということです。Huffington postの記事「教育への公的支出日本は最下位 奨学金制度が鍵=OECD報告書」に簡単にまとまっていますので、ご覧になってみてください。

教育評論家の尾木直樹さんは、NHKの番組で次のように語っています。
"国際人権規約で定められている「高校・大学の学費無償化条項」という項目があるのですが、この条項の批准を拒否しているのは、国連加盟国の中で日本とマダガスカルの二カ国だけなのです。国連からも、改めるよう勧告を受けています。"
【出演者感想】尾木直樹さん「日本の奨学金制度は国際標準とは呼べない」(NHK『シリーズ・貧困社会』2013.05.20より)
日本の公的な教育支援体制が他国と比較したときに、大いに改善が求められるということを、私も数年前までは知りませんでした。

「貧乏だもの、借りられるだけありがたい」と思って借りました。大学を出ればいい企業に入って一生安泰だから、らくらく返せると思っていた高校生のころ。でも、実際には、終身雇用の一生安泰な会社勤めの時代なんて、とっくの昔に終わっていた。私が高校生の頃にはすでに「過労死」という言葉が流行っていたし、今では「ブラック企業」「ブラックバイト」「社畜」なんて言葉が日常的に使われるくらい、働いて人間らしい暮らしを送るのが難しい時代になってしまっています。

いざ卒業してみると、返済のきついこときついこと・・。全部で400万円以上の借金をかかえて卒業しました。税金の控除があるとありがたいのですが、そんな制度は今のところありません。それでも、好きなことを仕事にして、返済できるだけ、恵まれています。

奨学金によるメリットは、学生に限定されるものではありません。前述のマガジン9の記事に、びしっとこう書かれています。
"「奨学金は林業だ」と岡村さんは語っていた。貸与の効果は世代を超えて還元される、息の長い営みである。そして、その最大の受益者は社会だ。NHKの番組で学者が指摘していたが、人材を育てることが経済成長につながり、結果として国の競争力を高めると見れば、目先の「成果」だけにとらわれず国を挙げて支援すべきことは自明の理だろう。"
国が教育を支援することは、貧乏人へのお情けではないのです。国全体の発展と幸福のために必要な投資です。

先ほどのグラフで、右下のゾーン、つまり学費が安くて奨学金が充実している国の一つ、デンマークの状況がひっじょーーーにうらやましいので駐日デンマーク大使館のツイートを引用します。本当の「先進国」ってこれなわけですよ。

ほんでもって、会社を出たあともこうです。

いやはや。。はい、デンマークで仕事を探したいですね。やはり教育は投資。繁栄しています。

なぜ、デンマークはこんなに羨ましい状況なのか? それは政治への意識の高さにあるようです。
望む未来をつくることは、国民一人一人の意識と行動しだいです。日本がこんな状況なのは、政府のせいでも、おっさんたちのせいでもなく、自分たちの無頓着、無関心、無気力、無力感にある。デンマークを見習って、政治を通じても声を届ける努力をしていきたいです。


スピリチュアルボケ

【旧暦神在月十三日 小雪 虹蔵不見(にじかくれてみえず)】

スピリチュアルボケはあかんです。これを書くのは、自分への戒めとしてでもあります。

自然のすごさを体感していくうちに、スピリチュアルな世界があると感じるようになってきたのですが、ポジティブシンキングがいいとか言われると、怒りを感じずにはいられないような社会の現状に目をそらして、あほに明るい未来予想をしてみたり。気持ちを乱すニュースを見ないようになっていたり。その結果、どんどん危機感がなくなっていく怖さを感じました。

スピリチュアルの本を読んでいると、気分が悪くなる話は避けろ的なことがたくさんでてきます。「引き寄せの法則」のよく売れている解説本にも、そんなアドバイスが載っていました。怒り、悲しみ、いらだち、落胆、心配、非難などのネガティブな感情は、低い波動の感情だから、なるべく持たないようにしなさいというアドバイスです(エイブラハムは本当にそう言ったの?って思うけど)。

「言霊」にしてもそうです。ネガティブな言葉は使うなと。ポジティブな言葉を使いなさいと。

「ポジティブ・シンキング」では、ネガテイブなことを考えずに、なるべく物事のいいところに目を向けなさい。そうしないと、ネガティブなことが現実になってしまいます、と。

ポジティブなことを話すために、ポジティブな未来を描くために、なんでそっちがいいのかって話をするには、現実に起こっているネガティブなことも言わざるを得ない。でも、ネガティブなことを、考えてもだめだ、語ってもダメだ、と言われる。じゃあどうすりゃいいのさって思う。

正直に言うと、スピリチュアルに逃げてたほうが楽なんです。祈りの力が科学で証明されたと言われれば、祈りだけで解決できるような気になり。あなたのインナーボイス、ハイアーセルフ、直感が教えてくれると聞けば、情報を集めて比較しなくてもいいような気になり。デモに行ったり、署名したり、情報を吟味して意見をまとめて発表したりするより、心静かに祈って、明るい未来予想にいい気分になっといたほうが楽なんです。

でもそれじゃ社会は変えられないでしょう。変えようとしてはいけないともスピリチュアル系の本にはよく書かれている。じゃあ、今のままでいいわけ?

急いで無理やりに変えようとするのは、もちろん、個人の意思をないがしろにすることだから、それをいいとは思わないけれど、相手が変わる機会を与えること、こういう考え方もあるよ、その在り方だとこういう問題も起こっているよ、と知らせることは、わるいことではないと思います。変わるか、そのままか、きっかけを与えるだけで、どうするのかはあなた次第。そういうスタンスで、自分の思っていることを言うことは、知っていたらやりたくなかったっていう人もいるわけだから、全然わるいことではないと思います。

自分の意見を話していたら、「あなたのしていることは押し付けだ、押し付けは良くない」って言われたこともあるけど、そういうあなたは、自分の意見を表明することを「押し付け」と定義して表明しないがために、相手に意見を押し付けられて、それに服従して、結局、地球によくないこともしているし、自分の大事な信念を曲げている。それでいいの? そういう批判って、単に、自分が本当はやったほうがいいのに、やらないことを正当化するために、スピリチュアルを利用しているだけだと思います。

キリストもブッダも、ガンジーもマーチン・ルーサー・キングも、世間一般に広がっているよくないことを指摘したし、正しい考え方を提示しました。真実を突きつけられて、自分の過ちを示されて、気分を害した人もたくさんいたでしょうし、それで迫害も受けました。でも、きっと、自分は正しいことをしているという確固とした自信があったから、過ちをおかす人々を憎まず、真実の言葉を語り続けたのだと思います。私はそういう人になりたい。そのためには、スピリチュアルボケは、遠回りだし、地球が破滅に向かっているのを止めるのには手遅れになってしまうんじゃないかという危惧を感じます。


20151123

マイナンバー、受け取り拒否アクションに参加

私はマイナンバー法には反対です。

田中龍作さんの調べによると、「障害者手帳、児童手当などを受け取る場合は必要」ということ。私は今のところ必要がないので、拒否することにしました。

三宅洋平さんも、田中龍作さんも、おしどりマコさん&ケンさんも、まるじゅんさんも、高坂勝さんも、受取拒否を表明してくださっていたので、私もこのアクションに参加する勇気をもらいました。

この記事↓を読んで、
●マイナンバーに立ち向かう、民主的非暴力不服従行動がはじまっている

どうしようかなぁ、と悩み、決めかねていたのですが、こんな情報が入り、
●<マイナンバー通知カード受け取り拒否運動>郵便局に223万通、自治体に返還84万通 ~マスコミは決して「受け取り拒否運動が起こっていて、戻ってきている」とは言いません。

みんなでやったら、効果ありなので、私も参加することに決めました。もしどうしても必要になったら、住民票に記載されるので、住民票の発行で対応します(前述の記事「マイナンバーに立ち向かう、民主的非暴力不服従行動がはじまっている」をご参照)。(…が、家族が受け取ってしまい、受取拒否と書いてポストに投函すれば郵便局に戻るということだったのでそうしたのですが、その日のうちに郵便局の方がもう一度届けに来てくれました。曰く、サインされたものは受取を拒否することはできないとのこと。役所に送り返している人もいたのですが、そこまでお金をかけるのもなぁ…と思い、しょうがなしに受け取りました…。)

なんで反対かというと、そもそも、人間に番号ふるって奴隷じゃないんだから、失礼すぎるじゃないのってのが1つ。

マイナンバーの導入に関わる諸々に乗じてIT企業にうちらの税金を横流しするとか、徴税強化と国民の監視強化(ご参照:田中龍作さん「全国民を番号で管理 超監視社会が到来する」)、経済的徴兵制、TPPを発効させたあかつきに国民皆保険制度と年金をアメリカの企業に売り渡すとか、そういう政府や大企業さんにとってはメリットはあるでしょうけれど、国民にはほぼメリットがない。メリットがないのに、なんで義務だけ押し付けられなきゃいけないのでしょう? ツイッターで検索してみると、受取拒否アクションに参加している人がいっぱいいます。



情報漏えい対策が絶対に信用ならない。年金でさえ漏れちゃってるのに、なんでもかんでも紐付けしてしまうマイナンバーをちゃんと管理できるわけ?とものすごく心配。



17分でアウトって。あほやんなぁ…。

根本的な解決は、やっぱり、選挙を通じて政権を変えること。私たち市民の声に耳を傾けて、声をあげられない人の気持ちに寄り添い、それを代弁してくれる本当の代表者を選んで、世の中を良くすることを目指して、あきらめず、たゆまぬ努力が必要だと思います。

20151122

いい夫婦の日に考える

【旧暦神在月十一日 立冬 金盞咲(きんせんかさく)】

今日(11月22日)はいい夫婦の日だそうです。

うちはお互いの自由意志とアイデンティティを尊重していて、厳密に言うと、法律上の夫婦ではありませんが、お互いを尊重し、大切にする気持ちで結ばれているパートナーどうしです。連れ合って10年ほどになります。

お互いに主従関係は好まないので、相方、連れ合い、パートナーと呼んでいます。「主人(=master)」「旦那(=patron)」という呼称も、「奥さん(奥の院にいる人)」「家内」という呼称も、お互いにしっくり来ないので(*)。最近、「相方」と呼び合っている夫婦をみかけることが多くて、実は結構みんな違和感を感じていたのかなーと思っています。(*これについては過去にも。20141127コードスイッチング

うちは両方ともフリーランスで、家のなかで仕事をしていて、離れるのは、相方が田畑に行くときと、お互いトイレに行くときくらいという感じです。友だちもお互いの共通の友だちが多くて、遊ぶときもほぼいつも一緒です。夫婦は似てくるとよく言いますが、私たちも似てきて、兄妹だと思われることもよくあります。

こんだけ長時間一緒にいて仲良く過ごせるのは、かなりなんでもとことん話し合うからかなぁと思います。食べ物のことも、環境や社会のことも、政治のことも、日常のささいなことも、なんでも話し合って、ほぼ考えは一致しているので、一緒にいてすごく楽です。ときどきぶつかり合うけど、冷静になれるまで休戦を入れながら、納得できるまで何度でも話します。そのおかげで、私もだいぶ成長できたように思います。

私は考えすぎるタチで、「奥さん」と呼ばれるのが嫌だとか言いながら、家のなかで黙々と何かを作ったり、翻訳したりして、隠れているのが好きなタイプです。それで、「私は影武者でいい」とか、「参謀的な役割が向いている」とか、相方の「創作活動の支えになれたらそれで別にいいよ」とか言っていると、相方に「tom-tomは隠れていたらもったいない!」「世界がほうっておくはずがない」と言われます。過大評価しすぎで聞いていて恥ずかしくなるんですが、こういう人がそばにいてくれると、ものすごくやれることが増える。「俺についてこい」「必ず幸せにする」的な古めかしい男子でなくて本当に良かったと思います。

相方は私に、ホームベースとでも言いますか、何があっても戻っていける場所をつくってくれているように思います。自分を幸せにするのは自分でしかないのだから、自分で望む人生を切り開いていくことが大切な学びだとはいっても、やっぱりちょっとした蔑みや妬みや心ない一言に傷ついたり、ぐらついたりしがちななかで、相方はいつも私の最大のサポーターでいてくれます。相方のおかげでまたがんばろうと思えます。

ヒビノケイコさんの以下のブログ記事を読んで、激しく「うんうん!そうなのよ!」と思いました。
成功する女性の夫の共通点は妻のファン「オレに尽くしてほしい」より「この人の才能を世の中に知ってほしい」

その結びが、
"「オレに尽くしてほしい」より、「この人に笑っていてほしい」「やりたいことをやって成功してほしい」そう思ってくれるパートナーがいることの幸せって、すごく大きいと思います。"
これ、ほんとにそう。そういう相方と出会えて本当に幸せです。親ばかな親が子どもをべたぼめするみたいに相方が超過大評価してくれるから、ほんとに何でもできるような気がしてきて、活躍の場が広がっているように思います。

祈りの力を信じつつ

【旧暦神在月十一日 立冬 金盞咲(きんせんかさく)】

このまえ東京に行ったとき、帰りの飛行機が着陸できない事態になりました。空港上空が悪天候のため、視界不良で着陸できなかったのです。

機長さんが緊迫した声で、「高松空港東の上空を旋回して、天候の回復を待ちたいと思います。1時間ほど飛行する燃料は十分に積んであります」とアナウンスしました。

昔「水は答えを知っている」という本で、念を送って雲を消す話を読み、やってみたら、実際に雲が消えたことが何回も(たぶん毎回?)あったので、祈りの力を信じています。あんまり力まずに、すでにそうなった状況をはっきりと思い浮かべることが大切なんだとか。早く帰りたくて仕方なかったこともあって、一か八か、今回も飛行機の上でやってみました。天のことなので天使さんたちに聞いたら聞いてくれるかなぁとか、いつも助けてくれる近所の神社の神様にもお願いしてみようかなぁとか、思い浮かぶことをいろいろしました。

そうしたら30分くらいして、「今から最終の着陸体制に入ります」と、無事に着陸することができました。諦めずに粘ってくれた機長さんに感謝です。飛行機を降りて、「まーただの偶然かなー」(天使さんと近所の神社の神様に失礼…)と思いつつ、ゲートを出ると、なんと、たった5分の差でJALは羽田に引き返していたことがわかりました。

私が乗っていたのはANA
祈るのはタダですし、やってみる価値はあると思います。自分の出している波動が高いと発する念が実現するのも早いみたいですが、私の波動はまだ全然普通レベルなので、結構時間がかかったんだと思います。みんなでやったら、きっともっと早く晴れたんじゃないかと思います。

こんなことを言ってしまうくらい、祈りの力を私は信じているんですが、一方で、祈りの力だけでは間に合わないこと、不十分なこともあると思っています。人間が肉体を持って生まれているのは、物質的に何かを動かすことで、世界をよりよく変えていく必要があるからだと思います。だから、祈りだけではなくて行動も大事だと考えています。

ときどき、スピリチュアル系の人たちのなかには、祈りが全てで、実際に起こっている問題に目を向けず、いいことだけを思い描けばそれが実現すると思っている人がいます。問題を提起したり、苦しみの最中にいる人たちのことを思って助けたり、不正にNOと伝えたり、行動を起こしている人のことを愚かだと批判する人もいます。悪いことを思い浮かべると悪いことが実現されるから、考えないようにするべきだという考え方なんだと思います。

私はその辺のことはどっちが正しいかわからないので、なんとも言えないけど、行動を起こしている人のことも尊敬するし、行動を起こしたほうが早いこともあるし、祈りだけが万能だと思っている人たちに行動を起こせとは言いませんが、それと同じように、行動を起こしている人たちを蔑むのはよしてほしいと思います。私は人間だから、祈りもするけれど、行動も起こします。思いやりをもってNOと言い、行動で示します。

まだ修行の足りない私は自分のこの感覚にあんまり自信を持てずにいたのですが、私より遥かに波動が高いであろうダライ・ラマもパリでの襲撃事件に寄せて、こう言っていました。
"We cannot solve this problem only through prayers. I am a Buddhist and I believe in praying. But humans have created this problem, and now we are asking God to solve it. It is illogical. God would say, solve it yourself because you created it in the first place."
(この問題[=パリの襲撃事件や憎しみの連鎖のこと]を祈りだけで解決することはできません。私は仏教徒として祈りの力を信じています。しかし、この問題を作ったのは人間です。それなのに私たちは神にこれを解決してくれと言っている。道理がありません。神はこう言うでしょう。そもそもこの問題を生んだのはあなたたちなのだから、自分で解決しなさいと)
Dalai Lama on Paris attacks: 'Work for peace, and don't expect help from God and governments'
なにかに頼りだすと、自分の感覚が曇ります。私は祈りの力も信じているから、祈りもしますが、肉体を持った人間として、物質的に物事を動かす行動もしていこうと思うし、そうしている人たちの応援もしていきたいと思っています。

20151121

消費で世界を変える「三宅商店」でお買い物の巻

【旧暦神在月十日 立冬 金盞咲(きんせんかさく)】

沖縄の三宅商店さんから、お願いしていた商品が届きました。厚紙の切れっ端に筆で「ありがとうございます」と手書きされたメッセージカードが入っていてほっこり心がぬくもりました。

手作り感満点のスタンプ。開けるのもワクワク。
紙袋の中は再利用のダンボールの小片などで
器用にきれいに丁寧に梱包されていました
三宅商店さんは、すばらしい活動をされているミュージシャン三宅洋平さんのお店です。実店舗が沖縄にあり、ネットショップでも買い物ができます。

三宅商店さんのこの↓スタイルに共感し、
"消費のあり方が、人類の命運を左右する鍵であることは明らかです。
僕らの「センス」の力で、環境や経済の問題を解決できるのではないか?
・自然環境と共存する生産・制作スタイルを深めつづける
・なるべく簡易な包装で、梱包なども家庭の再利用品など取り入れる
・なおし直し使い続けたくなる「いっしょうもん」”

送料はかかりますが、アマゾンなどにあるものでも、三宅商店さんにあるものは三宅商店さんで買いたい!と思っています。自分の支払ったお金が、彼の活動の糧にもなり、その仲間たちの雇用も生むのに役立つと思うと、買い物をするのがうれしくなります。応援したくなるっていうのはすごく大事な要素。応援したくなるのは、尊敬できる人間性と行動を伴った高い理念があるからこそ。

お願いしたのは・・

松の力


松の樹脂と水だけでできた洗剤で、用途に合わせて水でいろんな濃度にすると、台所用洗剤から、シャンプーから、洗濯用洗剤から、お掃除用にまで、オールマイティーに使えます。安全で、水を汚さないのも、生産時に環境に負荷をかけないのもうれしい。いつも洗濯に使っていて、ちょうど切れてしまったときに発見して助かりました。

それからザータル。

パレスチナのフェアトレード商品です。タイムのような香りのハーブ「ザータル」とゴマなどが入っています。パレスチナではこれをオリーブオイルと混ぜてパンに塗って食べるのが定番の食べ方と聞きました。パスタに和えるのがお気に入りです。卵、イモ類、豆類、根菜類、結構何にでも合います。東京ではよく買っていたのですが、香川で売っているお店がないので、三宅商店さんで見つけたときには小躍りしました。

それから冨田貴史さんの冊子「美意識(四季)養生マップ 春夏秋冬+土用」。


食用の陰陽のことがわかりやすくコンパクトにまとまっていて、絵もきれい。うれしいレシピ付きです。売上は疎開保養の海旅キャンプ運営費になるというのもうれしいです。

三宅洋平さんはあまりにも有名なので、もはや私の拙い説明の必要はないかと思いますが、一応私の言葉で書いてみますと、地球環境やあらゆる生き物たち、平和のために活動をしている方で、「政治にアートを」「政治をマツリゴトに」と本当の意味での政治を広げられています。2013年夏の衆議院選挙にも立候補されて、比例代表で17万票以上を獲得するも落選、三宅洋平さんのスピーチには私も心を動かされました。東京時代に生であの気迫を感じられたのはとても貴重な経験でした。

買い物って毎日することだから、積み重ねたらかなりの額になります。それを何に使うかで、世の中を少しずつ変えていける。個々人の消費行動が持つ力は大きいと思います。

20151119

「テロ」のこと

【旧暦神在月八日 立冬 金盞咲(きんせんか[=すいせんのこと}がさく)】

この前あるグループワークに参加しました。どんな生き方、働き方がしたいか、どんな生き方、働き方はしたくないかをシェアするというものでした。

そのときに、20代の方が「優しくありたい。優しくあるには、自分に余裕がないとできない。自分がまずは満たされている必要がある」とおっしゃいました。

また別な若い方が、「わるいことをする人というのは、よくよく事情を聞いてみると、それをしてしまうのがわかる事情や考え方がある」とおっしゃいました。

こういう感覚は、社会のいろいろなことを考えるうえで、すごく大事な見方だと思いました。こうした感覚があれば、なにか残忍なことが起こったときに、単純に犯人を見つけてやっつけるのではなくて、その根本の原因を探って、解決に向かうために行動を起こすことができるからです。

パリで残忍な同時多発テロ事件があり、とても悲しい気持ちでいます。欧米と日本のメディアを見ていると、「ISISのせいだ、あいつらを許すな、やっつけろ!」という論調が多く見られますが、ほかの多くの社会的な問題がそうであるように、この事件の原因にはさまざまなことが関係していて、ISISを絶やせば世界が平和になるというほど、単純な問題ではありません。本当の原因を見極めて、根本治癒を目指さないかぎり、ISISがいなくなっても、また同じ苦しみが繰り返されると思います。

私の意見は以下に挙げる2つの論説に近いです。
東京新聞 週のはじめに考える 9・11からパリ・テロへ

根本の原因は、志葉玲さんが記事で指摘されていることだと思います。
"何故、テロが起きるのか。IS的な過激思想に走る人間が出てくるのか。その根源には、「自由と民主主義」への絶望、そして憤りがある。空爆された市場で、猛烈な爆撃で地面ごとえぐり取られた民家跡で、血と膿と消毒薬の匂いただよう病院の中で、悲しみ、憤る中東の人々の、心が千切れるような絶叫を、私は何度も聞いた。”

日本を含めた欧米諸国は、自分たちがしていることを直視しようとしていません。以下の記事が象徴的です。
欧米からは完全に無視…“もうひとりのマララ”の悲惨な境遇(日刊ゲンダイ)
ストーリー:故郷追われた罪なき少女(その1) 無人機が奪った未来(毎日新聞)

中東の過激派に襲われたマララさんは世界の注目を浴び、救済されているのに対し、アメリカの無人偵察機に爆撃された罪なきナビラさんは無視され、家族みんなで苦しい生活をしている。ナビラさんのような人がほかにもたくさんいるのだと思います。なぜ、中東の過激派が犯した蛮行には注目が集まるのに、アメリカが犯している残虐な攻撃は許されるのでしょうか。アメリカ側は対「テロ」戦争といいますが、アメリカ側がしていることも「テロ」と全く同じに私には見えます。

中東の人々は、欧米が過去にした戦争、そして今もテロ撲滅を掲げての欧米諸国からの空爆で、ずっと悲惨で苦しい生活を強いられています。希望を持つことができません。彼らへしているひどいことを素直に謝って、お詫びをし、彼らが希望を持って暮らしていけるようにすることが、根本的な治癒だと私は思います。

「自分に余裕がないと優しくなれない」「わるいことをする人にも事情がある」―人生に絶望した人、心が壊れてしまった人たちが殺し屋になってしまう。私はテロをする人たちの心境、事情を想像すると―想像を絶するほどの苦しみと悲しみ―、その人たちのこともかわいそうでかわいそうで心が痛くなります。暴力はもちろん許されることではないけれど、欧米諸国も暴力をしている。復讐に復讐しても、もっとひどい復讐を生む悪循環になるだけです。

解決に向かうためには、真実と向き合うことが不可欠です。ロシアのプーチン大統領はISISの存在を支えているものについて、以下のように語っています。

・ISISの多くは雇われた傭兵で、賃金の高いところで殺し屋をやる
・その賃金の資金源は石油の販売による収益
と言われています。
(YouTubeに動画があったのですが、削除されてしまったので、文字起こしのリンクを付けておきます→

石油がISISの資金源であることはguardianにも過去に書かれています。
*Inside Islamic State’s oil empire: how captured oilfields fuel Isis insurgency

資金源を断つ、つまり、ISISから石油を買っている人たちが、石油を買うことをやめれば、もっと言えば、ISISから石油を買っている人たちから石油を買わないようにすれば、ISISの活動を大きく縮小することができるはずです。

では、ISISから石油を買っている人たちは誰なのか? プーチン大統領は、最近、ISISから石油を買っている国がG20を含む40カ国であることを突き止め、欧米諸国の首脳たちに知らせています。
*Putin: ISIS financed from 40 countries, including G20 members

別の記事で、プーチン大統領の側近が"ISIS is a byproduct of US policies in the Middle East.”ISISは中東におけるアメリカの政策の副産物だ)と述べていました

これは、ノーム・チョムスキー氏に関する映画で見たこととも共通しています。田中優さんの本「戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方」で読んだこととも共通するものがありました。

日本がすべきことは、アメリカと一緒に戦争をすることではなくて、まずは石油への依存をやめることだと思います(だから私はガソリン車を持ちたくないし、プラスチックや鉱物由来成分を含め、石油製品を使いたくない。有効活用されていない自前のエネルギー源を使うほうを選ぶ)。石油の魅力がなくなれば、資金源として役立たなくなるからです。そして、さらに言えば、中東を含め、世界で紛争や代理戦争の舞台となっている国や地域は、石油がたくさん出るところです。石油への依存をなくし、石油の魅力をなくしてしまえば、戦争をする理由がなくなる。これも真の平和へ向けた1つの非暴力的アプローチだと思います。

そして、国際社会は協力して、中東を無差別に爆撃するのではなく、苦しみのさなかにいる人たちの暮らしを一刻も早く楽にするよう協調し、憎悪の連鎖を率先して断つべきだと思います。その意味でも、日本は暴力を放棄し、暴力によって問題を解決しないという憲法を持っているのに、それを反故にすることは、憎悪の連鎖に加わることとなり、本当の平和からは退行するアプローチです。時間はかかることで、人権意識や支配的なシステムなどといった自分たちの未熟な部分と向き合って乗り越えていく苦しい毒出しもきっとあるでしょう。しかし、それは本当の平和と安全で快適な暮らしを実現するために必要な毒出しです。平和とは、与えられるものではなく、苦しくても、一人一人の在り方で創りあげていくものだと思います。

20151118

ノマドか、エグゼクティブか

【旧暦神在月七日 立冬 金盞咲(きんせんか[=すいせん}がさく)】

ノマド的な働き方とか、二地域居住とか、個人の自由を謳歌する働き方にも憧れる一方で、大企業や大きな組織で何かを大きく動かして社会に大きく貢献するような働き方にも憧れる。その辺、どうなんだろう?というような感じの質問をされたことがあります。

結論から言うと、どっちもやってみたらいいと思う。それで、合うほうを選んだらいい。こればっかりはやってみないことにはわからない・・・と言ってしまうと、ちょっと突き放しすぎな気がするので、今まで見聞きした範囲から私が考えていることを書きたいと思います。

私自身は、個人の自由を謳歌する働き方が働き始めてからのほとんどを占めていますが、大きな組織を垣間見る機会もありました。「社会貢献」をしたい、と思ったときに、どっちにも、やりやすいこととやりにくいことがあると思っています。やりやすいことを最大限発揮できて、やりにくいことはやりやすく変えていけるほうを選んだらいいと思います。

たとえば、大きな組織になると、個人として感じていることと、組織の一員としてしなければならないこととの間に大きな隔たりがあることもあるようです。私が2カ月だけいた中規模の会社でもそうでした。

そのジレンマを、組織の下層にいる間は我慢して、上層に上がってから変えていこうと思って耐えているうちに、だんだん個人の感覚が麻痺してきたり、上に上がるときにいろんなしがらみができたり、どんどんものが言えなくなって、結局、丸くなって終わる、という体験談も聞きました。

他方で、内側から変えていく勇気と粘り強さ、交渉力、推進力を持って、諦めることなく、組織のなかでいいことを広げている人の話も聞いたことがあります。組織と一口にいってもいろいろあって、自分にとってそういうことがしやすい組織だったら、組織で内側からいいことを広げていくのもやりがいのあることだと思います。

個人の自由を謳歌する働き方で、「社会貢献」に関して、だいぶやりやすいなと思うことは、
・やってはいけないことをしなくていい
・やってはいけないことに加担しなくていい
・やったほうがいいことをすぐに実行できる
・時間に余裕があるから、環境と社会のことをよく調べて考える時間がある
・よく調べて考えて買い物をしたり、意見を伝えたりすることで外側から働きかけができる時間がある
・いいことをしている人たちと網の目のようにつながって一緒に何かを始めることができる
あたりでしょうか。個人の決定権が大きいというのが一番の決め手だと思います。

たとえば、コピー用紙ひとつをとっても、パートタイムで行っていた会社では住民を焼き討ちにして追い出してまで熱帯雨林を破壊して作られた紙を使っていて、それを変えることは私にはできませんでしたが、個人で使う紙だったらすぐに変更することができます。家で使う紙は、びわ湖の森の間伐材と再生紙を使った「びわ湖の森の木になる紙」か、FSC森林認証紙にしていて、会社よりはわずかかもしれないけれど、少しでも、熱帯雨林の破壊を少なくできて、日本の森を再生するお手伝いができています。

やりにくいことは、やっぱり大金が必要なプロジェクトとかでしょうか。でも、そこの部分は長期的な目で見て、少しずつコツコツ幅広くいいことを積み重ねていって、じわじわと社会にいいことを広げていくやり方で補えるんじゃないかなぁとも思っています。

そして、そもそも、「社会貢献」ってなんなんだろうか?という、自分なりの定義や条件をしっかり持っておく必要があると思います。その定義や条件は、つねにアンテナを高くして、つねにアップデートしていかなければならないものです。そうしないと、「社会貢献をしている!」と思っていたのに、実際には、戦争に加担していたり、環境汚染や環境破壊につながっていたり、自由を妨げていたり、不公正や貧困を助長していたり、格差や差別を広げていたり、ということが往々にしてあるからです。

わかりやすい例として、原発はクリーンな未来のエネルギーだと言われていました。温室効果ガスの排出がないからというのが根拠です。これを鵜呑みにしている人にとっては、原発産業の推進は彼らにとっての「社会貢献」になります。

でも、稼働中も放射能を出し続け、ウランを掘る労働者には採掘中に大量の放射線を被ばくさせ、現場でも被曝労働者の犠牲なしに稼働することができず、周辺の海域の海水温を上げて生態系に悪影響を与え大量に出る使用済み核燃料を安全に処理する技術がないために十万年以上も管理し続けなければならず、核爆弾をいつでも作れる状態をつくっている。これを知っている人たちにとっては、原発産業の推進は、「社会貢献」どころか、環境破壊と人権侵害以外のなにものでもありません。(原発のことを勉強するようになったころのことはこちらに書いています→「20130413脱原発を願うようになった経緯」)

こうしたケースが、さまざまな分野において見受けられます。だから、「社会貢献」をするうえでは、何をもって社会貢献とするのかを判断する、たしかな目と、自分なりの定義が不可欠です。

ノマド的な人たちはもしかしたら、世捨て人的な感じに思われるのかもしれません。でも私の知っているノマドワーカーたちは、ものすごく優秀で、その能力を十分に活かして社会貢献をしています。私自身も、暮らしが豊かだから、仕事もいい仕事ができているように思います。どんな仕事もそうかもしれませんが、私の仕事は感性と思考力の両方が求められるので、心身の健康によって仕事にも多少なりとも変化が出ます。

自然系の人たちのなかには、世捨て人のような暮らしをしている人もいますが、二刀流の人もいて、私は後者です。世間に背を向けているわけではなくて、世間の支配的な動きに振り回されないように、徐々にシステム依存を減らして自分の自由度を高めている一方で、それがまだできない大多数の人たちが困らないように、見識を磨いたり、意見を発表したり、署名をしたり、お金や時間の使い方で意思表明をしたり、できないをできるに変えられるように情報や知恵を共有したりと、できる限りのことをするように努めていて、まわりでもそういう人が多いように感じています。

まずは、そもそも社会貢献ってなんだろう?ということをよく調べて考えてみて、そのうえで、自分は世の中に何ができるだろう?、何はしたくないんだろう?と考えてみるのはどうでしょうか。そうして、それらを実現するために、ぴったりのスタイルをいろいろ試してみて見つけていったら、いいんじゃないかなぁと思います。

20151112

梼原ツアー

先月、高知県の山あいの町、梼原町に行って来ました。

写真は森林価値創造工場。



町の建物には町産の樹木がふんだんに使われていてものすごく美しかったです。町の施設の冷暖房は木質ペレットを利用しているそうです。日本で初めてFSC認証を取得した森林組合があり、2050年までに再生可能エネルギー100%を目指すなど、非常に先進的な町で、北欧を彷彿とさせました。教育にも力を入れていて、幼稚園は無料。海外留学の補助もあるなど、子育て支援も充実。景色が素敵すぎて、町の人たちもにこやかで和やかで、高知の県民性に新たな一面が加わりました。

20151109

自家栽培あずきとささげ

【旧暦長月廿八日 立冬 山茶始開(つばきはじめてひらく)】

今年初めて植えた小豆。


さやから外して選別。天日で乾かします。


ささげも混ざっていて、どっちがどっちかクイズに。

次々あけているうち、さやが長いほうがささげで、さやが短くて豆の盛り上がりがぷっくらしているほうが小豆らしいと、特徴が掴めてきました。

種用にしないお豆さんを早速ご飯と一緒に炊きました。


口の中でぷちんとはじけて甘さが広がります。とりたての豆ってこんなに味が濃いのか〜。

無肥料で育てた完全自然栽培の固定種の豆です。買うことを思うと、かなりの貴重品。種をとって来年も植えたいと思います。

20151106

マコモダケを食す

【旧暦長月廿五日 霜降 楓蔦黄(かえでつたきばむ)】

マコモダケのことを初めてきいたとき、キノコかタケノコだと思いましたが、違いました。

マコモダケはイネ科の多年草で、黒穂菌という菌が寄生して肥大した根元を食べます。タケノコのような食感です。縄文の昔からあるスーパー植物で、水を浄化し、生命力にあふれ、若杉ばあちゃんも下記の本で絶賛していました。

野草の力をいただいて 若杉ばあちゃん食養のおしえ


20151101

庭で椎茸

【旧暦長月廿日 霜降 霎時施(こさめときどきふる)】

友人にもらった椎茸のほだ木。秋になると大きな椎茸ができます。

でかい。


とりたてをオリーブオイルでさっと炒めて、軽くモンゴルの天日湖塩をふったら、香りも味も格別でした。


例のごとく、料理になったらすぐ食べてしまい、写真は撮り忘れました。
うーむ、贅沢。お金で買えない贅沢を堪能しています。

寿命なんて思い込みかもの巻

【旧暦長月廿日 霜降 霎時施(こさめときどきふる)】

昨日の記事で、年齢に対する強い思い込みを外せば人間は150歳くらいまで生きられるんじゃないか、という話を書きました。

実際にそういう話をしている人がいました。95歳のトルコのヨガ師範カジムさんです。

毎日のヨガが健康の秘訣?見た目も中身も若すぎる95才のトルコ人男性が話題に

うーん、写真を拝見しても、とても95歳には見えない。40歳でヨガと健康的な食生活を始めて、体力は30代のころと変わらないそうです。「心をそこに向けさえすれば、人は誰でも130才まで生きられる」と語っています。

私が150歳とか200歳とかまで生きられるやろーと思うようになったのは、一番最初のきっかけは、友人のススメで「神との対話」を読み、神さまが人間の身体を500年くらいは保つように作っているのに、人間は変なもの(化学物質とか)を身体に詰め込みまくるから、100年未満しかもたないと話していて衝撃を受けたからでした。その後読んだ、「引き寄せの法則―エイブラハムとの対話」にも強い思い込みが寿命を作っているというような話が出てきます。

心の持ちようはやっぱり大切。