20140815

絵を見る目

【旧暦文月廿日 月齢 19.2 立秋 寒蝉鳴(ひぐらしなく)

東京に住んでいたころ、仙川にある武者小路実篤記念館にたびたび行った。企画展があって、定期的に展示が変わり、たまたま行ったときの企画展で、実篤さんの友人の岸田劉生さんの絵を見る機会があった。

子どもを描いたものが多く、初めて見たときの感想は、「かわいくないなぁ」だった。子どもの弾けるような笑顔を描いたものはそこにはなく、ぶすっとしているのかと思うくらいの表情ばかりで、なんでもっとかわいく描いてあげないんだろうと、その時は思った。

先日、仏生山温泉の帰りに、駅の前の横断歩道で女の子が道を渡ろうと、車の往来を真剣な目で見ているのを見かけた。その女の子の顔を見て岸田劉生さんの絵が突然目の前に蘇った。岸田劉生さんの描く子どもと、女の子の表情が重なり、「そうか、ありのままを描いていたんだ」と思った。子どもはいつでもあどけなく笑っているわけではなく、大人と同じように、ときに大人以上に、真剣に何かを考えたり、何かに打ち込んだりする。岸田さんの絵は、子どもたちのそうした面を捉えていた(のだと思った)。

白樺派に詳しい相方にその話をしたら、岸田劉生さんは「しかも自分の子どもを描いていたからね」と言う。かわいいときだけでなく、まるごと全部ありのままを愛していたからこそ、ああいう表情を描いたのだろうと思ったら、そのときになってなんだか感動してしまった。

背景知識を全く持たずに偶然岸田劉生さんの絵を見たので、率直な感覚を持てた。初めて見た時のその感覚を呼び覚ます経験をして、さらに理解が深まった。専門家による解説はおもしろいときもたまにあるが、勉強してから見たとしたら、おそらく、こういう感覚を持つことも、理解を深めることもできなかったと思う。他人の感覚や評価や知識に頼らずに、自分の感覚を大切にして、一対一で絵と向き合う。その積み重ねが、自分の中にある感性を呼び覚まして研ぎ澄ませ、絵を見る目を育てていくのかもしれないと思った。