20140731

土用の丑に

土用入りをして梅干しの土用干しをした話を昨日書きましたが、29日は土用の丑の日でした。

土用の丑といえばうなぎ。新聞の折込チラシでもうなぎの蒲焼きが目白押しで、仏生山温泉に行った帰り(まだ風呂通いを続けています^^;)にも、居酒屋さん(かな?)の前を通ったら、おじさんがうなぎを焼いていて、私たちが通るとうちわでさらに激しくあおいでくれたりしました(笑)

たしかモンベルの会員誌でだっと思いますが、うなぎが絶滅の危機にさらされていることを数年前に知って、未来の世代に残したいと思い、私はうなぎを食べなくなりました。

このあたりが詳しいです。
●ウナギが食べられなくなる日(ナショナルジオグラフィック連載)
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20120710/315508/
●SAVEうなぎ~薄利多売で進む絶滅への道(グリーンピース・ジャパン)
http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/ocean/seafood/SaveUnagi/

何も知らなかった頃は、一杯500円という問題なくらい安い値段で売られているうな丼を食べたりしたものでした…。養殖でも稚魚を海から捕ってきて育てているので、絶滅を防ぐことにはつながらないのだそうです。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに入ったので(「近い将来、野生での絶滅の危険性が高い」という意味の分類の「絶滅危惧1B類」に入りました)、さすがに今年は新聞でも報じられていましたが、土用の丑が近づいてからは小さな記事にしかならなくなってしまいました。

去年の土用の丑には、うなぎが絶滅するっていうのに、うなぎ売り合戦なんて、という感じに思っていたのですが、今年は香川に来たせいか、少し感じ方が違います。小さな商店街のお魚屋さんやお惣菜屋さんが一生懸命うなぎを焼いていたり、地元のスーパーの広告に、うなぎの養殖を代々営んでいる九州の家族の写真が載っていたり、土用の丑にうなぎを売ることが、会社員で言うボーナスみたいなものになっている、生活がかかっている人たちがいることを、身近に感じました。

しかも、この人たちはたぶん、うなぎの絶滅の直接の原因はつくっていなくて、絶滅に追い込んでいるのは、やっぱり、バカに安い値段で年がら年中うなぎを食べられるようにして、安く買い叩いて儲けている大企業で、それなのに、うなぎが絶滅するのでうなぎを買わないでください、というような運動をするのはどうなんだろう…と考えこんでしまいました。うなぎを絶滅に追い込んだ企業だって、その中で働いている人たちは、ノルマがあったりとやっぱり生活がかかっていて、単に悪者を決めつけて、そいつを懲らしめればいいという図式では何も解決しないと思いました。

原発にしても、農薬にしても、化学物質にしても、そういう他の問題にも同じことが言えるように感じます。推進している側の人たちもおんなじテーブルについて、みんながハッピーになるような解決策を、みんなでどうしたらいいかなぁ、と考えながら、いい方向に進んでいけたらいいなぁと思いました。

結局、土用の丑に今年もうなぎは食べませんでした。香川ではあんこもちを食べるならわしがあり、あずきで夏負けを防ぐと聞いたので、あずきを麹甘酒に入れて、キヌア(雑穀の一種)も入れて、ぜんざいみたいにして食べました。江戸時代には夏バテ防止に甘酒を飲んだそう。暑さの折り返しに、栄養がたっぷりとれた感じがします。

20140730

梅干しのその後 土用干し

土用入り後、晴天続きの日を待って、梅を干しました。


三日三晩干すと、土用の強い太陽のパワーが入るそうです。土用の間は、雨が降らないことが多く、立秋を過ぎると夕立が頻繁になったりするので、土用に干すのは理にかなっているなぁと思いました。

二日目の朝、洗濯を干したついでに梅をひっくり返していたら、相方が麦藁帽子にサングラスで鎌を持って自転車に乗り、「行ってくるわぁ」と田んぼへ。おじいさんは田んぼへ草刈りに、おばあさんは庭へ梅干しの世話に…なんだか昔話の始まりみたいで、人間的な暮らしだなぁとしみじみしました。

今年の梅ちゃんたちは、過熟気味だったのかはちきれている子たちもいました。去年つけた実家の梅に比べると色がのらない子たちもいましたが、香川で土用干ししている人たちが載せていた写真を見てみたら似たような色をしていたのも結構あったので、土地柄なのかもしれません。

しそもよく干してゆかりにします。


梅酢もたっぷりとれました。こうして年に一度作っておいたら、ふりかけもお酢もでき、梅酢はもともと塩が入っているのでオイルとハーブやスパイス、野菜のすりおろしなどと混ぜればドレッシングも簡単にできてしまいます。梅干しづくり、なんとも合理的。大切にしたい日本の伝統料理だなぁと思いました。

20140729

機械と人間

洗濯をしていて気づいたこと―そのニ。

機械には機械の得意なこともあるが、だからと言って、人間よりも機械のほうが優れているという考えは幻想だった。人間と機械の優劣を比べるなんて、そもそもばからしいことで、それぞれ違う長所がある、ただそれだけなのかもしれないと思った。

「手洗いの後、心配だからもう一度洗濯機で洗う」
「機械で洗わなくて汚れが落ちるの?」
というようなことを言われることがある。

自分も、何年か前までは、洗濯機のほうが人間よりしっかり洗えると思っていたし、手書きの名刺より印刷された機械文字の名刺のほうがちゃんとしているように見えるとか、上手な手縫いの縫い目をミシンで縫ったみたいに上手だとか、平気で思っていた。

近年は「人間が機械に劣っているなんて、そんなことはないだろう。だって、機械は人間が考え出したものではないか」と思ってきたが、実体験として、機械よりも人間のほうがうまくできた事象に遭ったことがなかった。正確には、遭っていても、気づいていないか、覚えていないのかもしれないが。

私にそのことを体験させてくれた出来事は先日起こった。冬物のキルティングジャケットを、今年は初めて手で洗った。洗濯機がないからだ。かれこれ6年ほど着ていて、毎年洗濯機で洗っていたが、表面に黒ずみが目立ってきていた。汚れに固形の石けんを塗って軽くもみ洗いしたら、見違えるほどきれいになって新品みたいな色になった。機械で落ちなかった汚れが、手では落ちたのだ。

汚れが落ちた感触もはっきりわかるようになってきた。それはとても微妙な感覚だ。皿洗いをしていての、きゅっきゅっと鳴るあの感覚と似ているかもしれない。洗濯機で洗っていたころは、きれいになったかどうか、今思うと確かめてもいなかった。手洗いに疑念を示す人たちも、多分、確かめていないのではないだろうか。

きれいになったかどうかは、視覚、嗅覚、手の感触を働かせる。鈍っていた感覚が本来の感度を取り戻しつつあるのは、洗濯機をやめてみての思わぬ効果だった。

機械のほうが人間よりも優れているいう潜在的な固定観念は、人間本来の力を衰えさせているのかもしれない。その考え方を出発点にすれば、機械を使うしかない、自分にはできるはずがない、自分は無力だからエライ人が発明したものを使うしかない、エライ人が言うことは間違いないだろう、自分にはわかるわけがないと、無批判に言われたことを受け入れ、自分で考えたり行動したりすることをあきらめてしまう。受け入れた結果がどうなったか、表面的にしか―ともすれば全く―観察しない。

人間には力がある。世の中を良く変えていく力がある。考える頭がある。感じる心がある。工夫してうまくいくまで試行錯誤する根気がある。誰もにすべてが備わっている。道具は確かに便利だ。だが、その道具に本来の力を奪われてはいないか。

私もかつては劣等感がすさまじくて、無力感にさいなまれることはしょっちゅうだった。自分にないものばかりに目が行っていた。誰もに平等に力が備わっているなんて、当時聞かされたとしてもそうは思えなかったのではないだろうか。そうは思えないという人がいたら、少し手を動かしてみたらどうだろう。何か一つ、機械をやめてみて、アナログに戻ってみると、さまざまな発見がある。

20140728

洗濯をしていて気づいたこと

洗濯をしていて気づいたこと。

草木染めの服は色落ちするとよく言われるものだが、化学染料の服も色落ちしている。化学染料が溶け出した水を流して、環境に害はないのだろうか。

今までは洗濯機の中だったから見えなかったが、化学染料の服を洗っていると洗濯桶の中の水が、黒っぽい服は水が黒く濁るし、ピンク色の服は茶色っぽい水になるし、緑の服は茶緑っぽくなる。最初のうちは汚れが水に出た色だと思っていたが、同じ服を洗うたびに同じ色水ができるので、服の色だと気が付いた。

この色水を流す。この水にはどんな成分が含まれているんだろうと思った。動植物に有害な重金属類や環境ホルモンを流してはいないだろうかと不安になった。

環境団体グリーンピースのデトックスキャンペーンを思い出した。2012年4月発表の報告書“Dirty Laundry: Reloaded”に衣類を洗濯した際に流出される化学物質について書かれている。生産時にももちろん、工場からの排水に残留性や生物濃縮性のある重金属や環境ホルモンなどの有害化学物質が検出されていて、長期間にわたる環境への影響が危惧されている。

ちなみに、グリーンピースのことを、シーシェパードと混同して過激で危ない団体と勘違いしている人を時々見かける。まったく異なる団体で、市民の健康と地球の未来を守るために、企業への働きかけや調査研究、悪いことをしていないかの注視など、さまざまな活動をしてくれている。

フェアトレードブランドのピープルツリーではアゾフリー染料を使っていると、ウェブサイトで読んだ。アゾ化合物は発がん性が確認されていて、日本では一般的に今でも使われているが、ヨーロッパでは使用禁止になっているところもあるという。人体に影響があるということは、環境にも悪いものなのだろう。人間も自然の一部なのだから。

個人の生活と、企業の行い、環境と社会の状態は、見えにくいが密接に関わっている。化学染料を使っている企業にもデトックスをお願いする働きかけも、ささやかながら楽しめる範囲でやっていきたい。化学染料の危険性を知ってからは、それ以降新しく購入する服については、やむを得ない場合を除いて、植物や石など自然のもので染めたものか、無漂白・無染色の衣類にすることにしている。「買わない」という意思表示も、一つの働きかけの形だと考えている。

20140727

田植え完了!

長い長い田植えがようやく完了しました。3000本近くの稲、よくこんなに一人で移植したなぁ。刈っては刈っては草に追いつかれ、草を刈って植え穴を掘ったところに苗代の苗を一本一本手で植える作業は、1ヶ月ほどかかりました。苗代を5月に作って、稲の成長を待ちながら苗代の手入れ(草刈り)をしたので、5月からほぼ毎日一日中田んぼにかかりきりでした。私なら途方にくれて途中で投げ出しそう…。

草の中でつんつんと伸びているのが稲


全景。手前は畦
この後草刈りして畦塗りの予定
完了したのが7月24日で、7月2日の半夏生をだいぶ過ぎてしまいましたが、稲は大きく成長していて、分けつも進んでいて安心しました。1本の苗から放射状に分けつした苗はかっこよかったです。晩生種なので10月くらいまでゆっくり成長しても大丈夫そうです。

水に浸して根を出してから直播きにしたところが一番元気いっぱいだったので、来年は直播きでいこうかと話しています。毎日田んぼに行って観察しているせいか、来年への改善点もよくわかり、相方はどんどん腕を上げそうです。

夜はおいしいお魚でも食べにどこかへとも考えましたが、家のご飯が安心で食べたいものだけ食べられるし、一番うまいよね、ということでいつものように焚き火。



地元の有機農家さんが作ってくれた甘とうとじゃがいも、玉ねぎを丸焼きにして、醤油とゆず胡椒でいただきました。

甘とう長かったー

相方はまた翌朝から草刈りへ。「草刈ったら稲が喜ぶなぁ」とうれしそうに出かけていきました。私はまた洗濯とおやつ作りを頑張ります。

20140726

かぼちゃの種

マフィンやクッキーなどのお菓子によくちょこんと飾られているかぼちゃの種。よく洗って天日干ししてから、ハサミで殻のはしっこを切って、手で剥いていくと自分で作れてしまいました。

手間ではありますが、なかなか楽しい作業で、むきたては柔らかくておいしかったです。たくさんとれて保存する場合はフライパンなどで煎ってから瓶などで保存するとよいようです。

簡単にフライパンで焼けるソーダブレッドに人参といっしょにかぼちゃの種を混ぜました。ソーダブレッド、簡単でおいしすぎてついつい食べ過ぎてしまいます。



ソーダブレッドは、小麦粉+重曹+酢+水を大きいスプーンでざっくり混ぜて、フライパンやオーブンで焼くパン。重曹と酸の化学反応で膨らませます。酢の代わりにヨーグルトを入れても良いみたいです。白砂糖はカルシウムを奪うので、甘みが欲しいときは粗糖やレーズンなどを入れますが、天日塩だけでも充分小麦粉の甘みが引き出されておいしいです。

20140725

野性的トマト

マルシェでお会いした素敵な有機農家さんから、いただいたトマトの苗。
ほぼ放ったらかしだったのに草の中で立派な実をならせてくれました。


野性的な味がしました。

20140724

今月の電気代

今月の電気代のお知らせが来ていました。487円でした。

夜は居間と台所で蛍光灯を使うようになったので、先月より高いかなぁと心配していたのですが、1キロワットしか変わりませんでした。

先月より1kwh多くなっていたのですが、燃料調整費で毎月単価が少し変わるようで、先月より安く、500円を切るとはちょっと驚きでした。

先月アンペアダウンについて調べてみたら、アンペアダウンしても電気料金が変わらないことがわかりました。四国は電気料金の体系が東京と違っていて、アンペア数に関わらず、一律の基本料金だったのです。11kwhを境に単価が高くなるので、11kwh以下を目指して工夫するという、当座の新しい目標ができました。

最終的には、自分たちで組み立てたソーラーパネルなどでの自家発電による完全自給を目指しています。焚き火をするので小型の火力発電や、雨が降るときは一気にたくさん降るので雨水での小型水力発電などもアイデアとして浮かんでいます。

なぜ電気をなるべく使わないようにしたいのか?―、ただセコいわけではありません。環境を破壊しながら作られている電気を買いたくないからです。

また、原発再稼働にできるかぎり加担したくないからです。あんな大惨事を起こして、どうやって収拾したらいいのかもわからないでいるものを、なんでまた動かしたいのか理解に苦しみますが、今の政府は原発再稼働に躍起になっていて、その判断材料の一つになるのが電力需要です。電力需要が少なければ、原発を再稼働する理由が一つなくなることになります。その需要は私たちが使った電気の量を基に算出して予測されるので、なるべく減らすことで原発再稼働の理由付けを弱めたいのです。

たかが電気のために、やりたくないことまでして、望まない暮らしまでして(会社の都合で住みたいところに住めなかったり、ヘクティックな暮らし方をせざるをえなくなったり…)、お金を稼ぐ必要が出てくるのは歪んでいると思うから、というのもあります。自給自足でゆったりと自然に調和した暮らしを営んできた町や村が、電気が通ったために電気代を払う必要が発生し、その電気代を稼ぐために出稼ぎに出る必要が発生し、結局は都会で働くようになって、過疎に追い込まれた地域の話を、徳島に旅行に行ったときと、石川県に旅行に行ったときに聞きました。ほかにもたくさんあるのかもしれません。日本で、ほんの数十年前に起こった出来事です。

発送電分離が実現して、電力市場がやっと自由化され、2016年にはやっと電気が選べるようになります。時代がいい方向にシフトしているのを感じます。

20140723

秋に向かう庭

小暑を経て大暑、いよいよ本格的な暑さがやってきました。

お日さまより少し遅く起きて、まだ涼しいうちに庭の草刈り。元気な夏草を刈り取ると、その下にはクローバーやカラスノエンドウなど、秋の草の小さな小さな芽が出ていました。草木たちはもう秋の準備を始めているようです。こうろぎも見かけました。

暑さももうひと月ほどと思うと、もっと大切に季節を楽しみたいなぁという気がしました。夕方にはひぐらしが鳴き、夜にはスイッチョンの声も聞こえ、夏の盛りも過ぎようとしているようです。

エノコログサを刈ったら
名前は知らないかわいい花
すみれに似てるけど秋の花?

20140722

どこかでつながっている

相方がノートなどに書きためてきた作品を、本として形にすることを始めました。

まずは、ここ2年ほどの作品を集めた作品集の「今」と、相方が昔、何かが降りてきたかのようにとうとうと語ったことや即興の歌を私が書き起こして物語仕立てにした「おはなし仙人」の二冊をまとめました。「おはなし仙人」のほうは、昔、相方に誕生日プレゼントとして作ったものでしたが、もう一度見直して、改訂しました。


「今」のほうは、音楽のアルバムを作る感覚で、今まで書いたものの中から、テーマや根底にある流れに合う作品を選び、順番を考えました。これは相方の担当。私が言うのもナンですが、これ以外ないよね、という流れになりました。

相方は本好きが高じて、東京に住んでいたころに、製本の本を読んでやり方を覚え、いろいろな製本ができるようになりました。和綴じが好きで、自分用のノートも和綴じで作ったりしています。

読みやすくページの構成を整えたり、用字の揺れや誤字脱字をチェックする校正をしたり、といった、編集の作業は私がさせてもらいました。英語の語学書の編集を教えてもらい、お仕事でさせてもらってきたことが役に立ち、とてもありがたく思いました。

絵も好きなので、挿絵も入れさせてもらいました。おはなし仙人のほうの表紙のイラストは、以前に書籍の店頭用見本を作らせてもらった経験が活きました。

「今」の挿絵と、その挿絵がついている作品の一節を抜粋したポストカードもいいかも!と思い、やってみたらすごくいい感じにできました。自分で言うのもナンですが…。

「今」の表紙のタイトルが入ったパーツのデザインは、相方が撮っていた写真を材料にして作りました。使った写真は、今年の元旦に初日の出を見ようと公園に集まっていた人々のシルエットを写したもの。そこにいただれもが「今」という瞬間に集中して楽しんでいたので、それから、これが作品集の一冊目にあたり、初日の出がスタートを象徴しているので、ぴったりだと思いました。

ポストカードとタイトルのデザインは、料理に似た作業で、パソコンの機能は包丁やはかりなどの道具、文章や写真は野菜などの素材、カードや表紙の背景は盛り付ける器、という感覚でした。これも私が言うのもナンなのですが、素材がいいので、いいものに仕上がりました。

編集、イラスト描き、料理、他にも数え出したら無限なくらい思い当たりますが、今までやってきたことが、この本を作るという自分の好きなしごとにつながっていることに、静かな感動を覚えました。

「今」の一番目に来る作品「好きなことを続ける」に、「ひとつのことは、他のこととどこかでつながっている」という一節があります。今回、そのことを実感しました。

20140721

梅干しのその後

先月漬けた梅に、赤紫蘇を入れました。

畑で育っている赤紫蘇はまだ小さくて、土用に間に合いそうになくて…。近所の産直に寄ったら、無農薬の赤紫蘇があって助かりました。

やや緑がかった葉もあって、しっかり色が付くかなと心配しましたが、


塩で揉んだら全部の葉っぱが黒いほど赤紫色になりました。



梅酢に放ったら鮮やかな梅干し色になり、色の変化がおもしろかったです。土用干しが楽しみ。暑くなってきましたが、季節の仕事を取り入れる暮らしだと、土用のかんかん照りもありがたく迎えられるのが不思議です。

20140720

ぼらづくし

先日知人に葉書を出したらお返事に、「高松にもいたことがあります。瀬戸内はお魚がおいしいですよ」と書かれていました。

本当にそのとおりで、鮮魚売り場に行くと、見たこともない魚がいっぱいいます。先日は鮮魚売り場に、香川の引田港からその日の朝に来たばかりのお魚が並んでいて、あおべら、白愚痴、うまずらはぎ、つばす、たもり、豆アジ…とさまざまなお魚がいました。

目利きらしいおばちゃんに、「引田のはもうだいぶ売れちゃいました」というおじさん。ひときわ興味をそそられたのが「引田港 ボラ 4切れ100円」。「なんでこんなに安いのに誰も買わないの?」と思って、本屋さんへ行き、「魚の便利帳」でボラを引いてみると、「どう料理してもおいしい」とあり、買ってみることにしました。関東では生臭いと悪印象があるが、それは東京湾が汚染されていたためで、関西では評価が高いとも書かれていました。

野菜とお酢でさっぱり味
4切れのうち、ひと切れはシンプルに塩焼きに。ふた切れはフライパンで両面をこんがり焼いた後、富士酢ヤマヒサしょうゆカホク黒ごま油を混ぜたタレに、塩もみした玉ねぎとトマトと一緒に漬けてメインディッシュに。あと一切れは、塩焼きしてからほぐして切り干し大根とひじきと一緒にしょうゆと柚子胡椒で軽く煮たものを混ぜご飯にしました。ほかに有機栽培の旬の野菜料理ももりもりで、宴会みたいな食卓に。

「これ、外で食べたら1万円やで!」と喜ぶ相方。

うーん、それはちょっとオーバーな高い気がするけど…。でも、これで100円って、田舎の生活、ライフ・オブ・クオリティすごいです。

20140719

焚き火で煮込んだカレー

先日、即席ナンを作ったら、カレーが食べたくなり、初めて焚き火でカレーを煮込みました。

スパイスは、ネパリバザーロのベジタブルマサラ。近所で無農薬無化学肥料の地場野菜が買えるのがうれしいです。今年は田んぼでいっぱいいっぱいで、野菜の自給自足はまだ遠い状態。来年は自家栽培野菜でカレーを作れたらいいなぁと思っています。

相方が熾火でじっくり煮込んでくれて、野菜のうまみがスープにじんわり出ていて、野菜の神さまと火の神さまの共演とも言うべきおいしさでした。

カレーを作ったら今後はナンが食べたくなって、翌日のお昼は即席ナンをプラスしました。合う!


カレーに入れようと思ってトマトを切ったら、ハートの形をしていてかわいくて、そのまま切ってオリーブオイルとハーブソルトでいただきました。


産直に並ぶ野菜さんたちからも本格的な夏の到来を感じます。

20140718

やさいのかみさま

ほぼ菜食になってからというもの、野菜料理の研究家のカノウユミコさんのレシピ本が大好きで、「菜菜ごはん」に始まり、かれこれ何冊も読ませてもらっています。

アクを邪魔者にしなかったり、クセをいかしたり、野菜に寄り添って、愛情を注いで、秘められたおいしさを引き出す調理のしかたがとても好きです。

なので、カノウユミコさんのエッセイ「やさいのかみさま」を図書館で見つけたときにはものすごくうれしくて、うきうきしながら貸出カウンターへ持って行きました。

版画の挿絵も、世界観にマッチしていて、とても素敵。食や料理、生き方などについてのエッセイと、それぞれに関連したレシピが掲載されたエッセイ集です。サンティなど、作ってみたいレシピもいっぱいでした。

やさいにはかみさまが宿っているという考え方にはすごく共感しました。野菜と向き合う姿勢がなんだか変わった気がします。ピーマンの種や、人参のヘタなど、今までぽいっと捨てていたところも、おいしく大事にいただく方法考えるようになりました。

今まではレシピしか見たことがなかったのですが、エッセイを読んでみて、やっぱりお人柄や理念が現れていたのだなぁと実感しました。カノウユミコさんのレシピがすごく好きだったので、その背後にある想いや哲学を読むことができてうれしかったです。料理は奥が深くて、人間の勉強になるなぁと改めて思いました。

20140717

初めての自然農の田植え

自分たちのたんぼで初めての田植え。私は諸事情により(*)、田畑に出るのを控えていて、相方が一人でがんばってくれています。

こちらの書籍を参考にしながら、川口由一さんのやり方でやってみています↓。
自然農の米づくり

20140716

器用貧乏

「tom-tomは器用貧乏だからなぁ」

母がときどき、不憫そうに言う。

器用貧乏を辞書で引くとこう書かれている。
なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。(三省堂新明解四字熟語辞典)
器用で何でもできるが、何か一つ秀でたものがなくて、
お金をたくさん稼ぐことができないというもとの意味と、
貧乏だから何でも自分でしないといけなくて、
そうしているうちに器用になるという
誤用が定着した意味の二つで使われるようだ。

母がどちらの意味で言っているのかはわからないが、
私はこう思っている。
器用だからこそ、少ないお金でも裕福な暮らしができる。

裁縫、編み物、料理、園芸、絵など、
なんでも自分でできるのは、
幼いころから両親に厳しく育てられ、
なんでもお手伝いさせてもらったおかげだ。
料理も農業も、観察眼と応用力を鍛えてくれた。

絵も、年賀状やバースデーカードなどを
自分で描く必要があったから、
色鉛筆で小さいころからたくさん描いた。
描いているうちに楽しくなって、
そのうちカレンダーなんかも描いていたようで、
母の誕生日にプレゼントしたカレンダーを
帰省したときに出してきてくれたことがあった。

確かに今のところ、有り余るほどのお金を得た経験はないが、
それでも、食べるもの、着るもの、使うもの、読むもの、
必要なものに不自由したことはなく、
高くて手が出ないものでも、工夫して自分で作ったり、
知恵を働かせて何かを代用したり、
無料あるいは安く手に入れる方法を考えたりして、
困ることなく暮らせてきた。

お金の多寡で測れば、確かに、貧乏かもしれない。
でも必要なものを手に入れる能力で測れば、
私はとても裕福だと思う。

お金はあればあるに越したことはない。
それでも、ないからと言って満たされていないとは限らない。
だれかが一生懸命作ってくれたものを
一生懸命稼いだお金で買ううれしさも好きだが、
自分で工夫をする楽しさは、
買ってくるよりもずっと長く味わえる。

母にそう言われるとき、
私はいつもこう答えることにしている。

「器用に育ててくれたおかげで、毎日楽しいよ」

20140715

朝日米

待ちに待った朝日米が届きました。わーい(*^o^*)


朝日米は、人工交配した品種ではなく、在来種を選抜した貴重な品種で、主に岡山県の南部で栽培されてきたそうです。ササニシキやコシヒカリなどの祖先にあたります。他の品種に比べて生産性が低く、機械化に向かなかったため、自家用に作られることが多いそうです。でも、最近では岡山県の奨励品種として県をあげて推進されているのだとか。

早速食べてみたら、あっさりとした食感と上品な甘みがとてもおいしかったです。もち米と交配していないので、もちもち系よりもササニシキなどのさっぱり系が好きな方は特においしく感じるかもしれません。

冷めても甘みと香ばしさがなくならず、おむすびにしたらおいしくて、「おやつもおむすびがええわぁ」と喜ぶ相方。品種改良が進んだ小麦の怖い話をよく行く自然食品のお店で聞いてきて、小麦は日常的にではなく、たまににしたいなぁと思っていたので、よかったです。お砂糖も入れなくていいし。

こんなにおいしいお米を、種を絶やさずに作り続けてくれている農家さんに感謝です。米作りを始めてなおさら、大変さがわかります。お米に元氣をもらって、日々精進します。

20140714

フライパンで即席ナン

図書館で、「あな吉さんのゆるベジ 発酵いらず!即席パン」という本を見つけました。

ちょっとご飯が足りないときに、本に載っていた即席ナンを作ってみることに。


酵母の代わりに、アルミニウムフリーのベーキングパウダーで膨らませます。天然酵母でじっくり発酵させたパンのもっちり感や小麦の甘みや風味にはやっぱり適いませんが、これはこれでおいしくて、フライパンでさっと作れて大助かりでした。色づけと香りづけにヤマヒサ醤油をちょっと垂らしたら、おせんべいみたいで懐かしの味でした。和印折衷です。ほんものの発酵調味料はなんでも調和させてしまう不思議な力を持っています。

今度、ネパールカレーを作るときも、このナンならカレーを煮込んでいる間にささっとできそう。次は、ご飯とナン、両方で楽しみたいと思います。

20140713

ほうとう→長寿麺→陶芸のひも

先日、お米を切らしてしまい、お願いした無農薬緑肥栽培のお米が届くまで、小麦粉料理で切り抜けることになりました。

うどんは何度も失敗していて、若杉ばあちゃんの本に載っていたほうとうが簡単でおいしそうだったので、レシピを見ながら挑戦してみました。生地を40分寝かせて、細長い団子に分け、指で穴を空けて輪にして、縄跳びのようにひゅんひゅんまわすと、おもしろいくらい伸びる、と書いてあった通りにやってみたのですが、これがやってみると難しくて。途中でぷちんと切れてしまい、厚さもムラができてしまっていました。全粒粉で作ったからかなぁ。

一個もうまくいく気配がなく、一旦中断して、図書館で借りてきたウー・ウェンさんの小麦粉料理の本「ウー・ウェンのみんなで楽しい小麦粉料理」を見てみることにしました。ほうとうにそっくりな長寿麺という麺の作り方が載っていて、これならいけそうでした!

ほうとうと違っていたのは、手で団子にする代わりに、打ち粉をして麺棒で伸ばし、短冊状に切り分けること。ほうとうは団子状の生地を伸ばして打ち粉をしいたところに寝かせておくようですが、長寿麺は短冊状の生地を鍋の上で伸ばしてそのままスープに入れます。これがおもしろいくらい伸びて、中国ではおばあちゃんが麺を伸ばし、子どもたちが「長い、ながーい」とはやしたてるんだそうです。

すぐに食べるわけではなかったので、打ち粉をしたところに伸ばした麺を休ませておいたら、みんなくっついていて、やり直しに。相方も面白がって手伝ってくれて、次々に麺が鍋に放り込まれました。

うどんもどきのひも
相方はそのうち、うどんみたいに丸めた細長い麺を作り出して、

「これ、どっかでやったことあるなぁ、でも思い出せやん」

と言い出し、しばらくして、

「あぁ、これ、ぼくちゃうかったわぁ」

と笑いました。以前、陶芸家のてびねりの実演を見たときに、お弟子さんが成形に使う粘土を細長くひも状にしたものを用意していたのをあまりにリアルに覚えていて、自分がやったような気がしたようでした。

そんなこんなで、どうにか麺を作り終わり、茹でてみると、相方の作ったひもは見た目はうどんによく似ていました。

「うどんって出してもわからんわなぁ」

と冗談めかして言う相方に、

「わかるやろー、これ出てきたら讃岐の人は怒るで」

と言い返すと、相方はうどんそっくりのひもを食べてみて、ひとり爆笑。うどん通の知人だったら「怒るやろなぁ」と笑いが止まらないほどの食感だったようです。食べてみると、もそもそしてむちっとしていて、つるつるのうどんとは似ても似つかぬ食感でした。長寿麺になったほうは、わんたんみたいな柔らかさでおいしかったです。失敗もあってちょっと大変でしたが、楽しいゆうげでした。

ほうとうは戦中の料理、長寿麺は長寿を願う家庭料理、発祥は違えどそっくりな料理に、日本人も中国人もやっぱり同じ感性を持った人間なんだなぁとうれしくなりました。些細な違いでけなしたり、ばかにしたり、けんかしたり、そんなことよりも、違いと同じくらい、もしかしたらそれ以上にある共通点を見いだして仲良く調和していけたら楽しいし、それは絶対に可能だと、料理をしながら思いました。どこの国の人だって、食べるということは共通だし、料理が持つ平和を創る力に初めて気が付きました。

20140712

葉書

年賀状など郵便でのやりとりがあってまだ新しい住所をお知らせできていなかった方々に、先月遅ればせながら転居のお知らせの葉書を出しました。

メールとは違ってお返事はこないものと思っていたのですが、お返事をくださった方もいて、予想していなかっただけにとてもうれしかったです。近況報告もかねて少しメッセージを書いたら、ぴったりの絵葉書を選んでメッセージをくださった方もいました。メールなどでお返事をくださった方とも、久しぶりにお互いの最近を話せてうれしかったです。ブログ読んでるよ、と言ってくれる友だちにもとても励まされました。

東京でよく遊びに行っていたお店からイベントのお知らせなどが転送されてきていたので、お店あてにも住所変更のお願いをかねて葉書を出したら、私のブログを読んでくださって感想や応援まで添えて丁寧にお返事をいただきました。都会でもこんなに温かい人たちに囲まれて、幸せだったなぁ、今もこうしてつながれてうれしいなぁと思いました。

メールもSNSもある現代、葉書や手紙のスローなコミュニケーションがなんだか心地よくも感じました。メールもSNSも瞬時にコンタクトできて便利なことなどいいところもたくさんありますが、反面、返事に追われがちになることもあります。葉書はメールほどは返事を期待せずに出すものだと思うので、相手に返事をさせる負担をかけるのをメールほどは気にせずに出せるのもいいなぁと思いました。

相手や季節に合わせて、絵葉書やカードや切手を選んだりするのも幸せな時間で、今回いただいたお手紙や葉書でも、私に合わせて選んでくれたんだなぁとほっこりさせてもらいました。

私のブログのことを、「生存確認のために読んでるよ」とか「わくわくしながら読んでるよ」と言ってくれる友だちや、私の書くものが好きだと言ってくれる方がいて、本当に幸せです。ありがとうございます。ときどき、いろいろあったり、仮想敵が浮かんできて勝手に心がもやもやしたりするときもあるのですが、そう言ってくれる人たちがいてくれるのが励みで、本当に支えられているなぁと、今回改めて感じました。

書きたいことがある限り、私はきっとしょうもないと思われるようなことでも書き続けるんだと思いますが、私の書いたものが楽しみだと言ってくれる人が一人でもいてくれることが、なによりものごほうびだと感じています。本当にうれしくて、感謝しています。ありがとうございます!

20140711

石の上にも

土があれば、畑にできると思い、庭にも少し野菜を植えてみることにしました。

先日、野菜の苗売り場に寄ったら、売れ残った野菜の苗が処分価格で売られていました。小さなポットのわずかな土を糧に実を付けていたミニトマトとオクラ。いろんなものに巻きついてどうにか大きくなろうとしていたゴーヤ。多分F1種だけど、大きくなりたいのに日の当たらないところでひょろっとして、それでも健気に新芽を出していて、なんだかかわいそうで連れて帰ってきてしまいました。実をつける野菜だから恐らく雄性不捻ではないとも思ったので。

庭はほとんどが粘土か砂利で、車で踏み固められた跡のところは特に不毛の地のようになっているのですが、一部に草がいっぱい生えるスペースがあります。ここなら土が良さそうと思い、植え穴を掘ろうとしたら、表土の数センチ下に砂利がいっぱい。丹念に石を取り除いて、そろそろ植えられるかなぁと思ったら、今度は岩盤のような大きな石。思わぬ大工事になりました。

6つのポット苗を植えるだけだったので、午前中の数時間で終わるはずが、出るわ出るわ石の山。

これを4セットほど発掘

結局1日ががりの作業になりました。でも漬け物石が発掘されて良かったです(梅を漬けた日、重石がなくて探し回りました)。石を抜いたら地面が低くなって、思いのほか深く植えることに。写真は草をかける前のオクラです。
オクラ
とりあえず、刈った草を何層にも盛ってとりあえず水たまりにならないようにしました。うまくいくといいなぁ。この日は植えただけでギブアップ。ゴーヤの支柱はまた後日にすることに。
ゴーヤ
ミニトマトは木村秋則さんの本「自然栽培ひとすじに」で読んだ横植えにしました。根っこがいっぱい出て丈夫に育つそうです。

ミニトマト
土の下に山のような石、なんでこんなことが起こるんだろうと不思議に思いましたが、多分もともとは砂利が敷き詰められていた庭で、長い間空き家になっていた間に、その上に堆積した草や落ち葉が分解されて土になっていたんだと思います。石の上に草が元気に生えられるほどの土ができていて、生き物の営みはすごいなぁと思いました。

出てきた石は、車のタイヤで土がえぐれて水たまりになるところに敷いてきました。あるものをうまく利用する知恵がまわるようになってきました。

20140710

初めてのいただきもの

ご近所さんから初めてのいただきものをしました。

「お客さんにたくさんもらって」と、きゅうりとピーマンをいただいて、大きいきゅうりは「きゅうりもみ」より炒めものなどにするとおいしいよと教えていただきました。早速晩ご飯のおかずにしました。

中ぐらいのきゅうりは塩もみしてぎゅっと絞ってからごまと梅酢で和えて、


大きいきゅうりはいただいたピーマンと一緒にごま油で炒めてから味噌汁にしました。


「きゅうりもみ」という料理は初めて聞いて、きょとんとしていたら、「きゅうりもみしないん?」と聞かれ、「塩もみきゅうりのことですか?」と聞いたら、「タコとかときゅうりもみするでしょう?自炊しないん?」とご近所さん。うーむ、酢の物のことだろうか…。

香川の郷土料理のようなものなのかもしれません。こんなほのぼのなご近所さんとの会話、いいものですねぇ。よく地方へ移住関連の本などで読んでいたおすそわけ。ちょっと憧れだったのでうれしかったです。

20140709

予報外れの雨上がり

予報外れの雨上がり。

相方はギターを片手に歌う。リズムに乗って私はちくちく繕いもの。ときどきつられて歌ったり。ドラマのワンシーンみたいな幸せな時間だなって思ったり。昭和ちっくだけど未来ちっくでもあるような。いつの時代かわかんないのも自分たちらしい。

バリバリのキャリアウーマンみたいな出世、名声、幸せな恋愛、結婚、家庭、その他いろいろ、いつしかドラマで定められた幸せを追って生きるようになっていた頃もあった。ドラマを見る代わりに、ドラマにされそうな人生を生きるほうが楽しいってことに最近気がついた。

のろけているわけではなく。幸せは定められた一様なものではなくて、感じる心だと、一般常識も社会通念もマインドセットも全部とっぱらって自分で感じることだと、ちくちくをしながらふと思った。

20140708

干し野菜

朝からいいお天気だった梅雨のある日、野菜を干しました。香川は梅雨でもあんまり雨が降らなくて、東京よりさらっとして快適な気がします。


この日はズッキーニと人参です。梅雨に入ってから天気予報が当たらなくていつ雨が降るかわからないので、すぐ乾くように小さめに切りました。

乾燥ズッキーニは輸入食品店でも発見。ちょっと高級食材でした。これを自分で作れるのね、と思ったらちょっとワクワク。

完全にからっと乾かせば常温で長期間保存でき、切れてあるので使うときは切らずにそのまま使えるのも楽ちんです。天日干しした野菜は栄養価も高まっているのだとか。前回人参を干したときには甘みと香りが強くなっておいしかったです。

ざるはステンレス製のざるよりも、竹の盆ざるのほうが乾きがいいようで、同時に干した千切り人参は、竹の盆ざるのほうが金ざるより早く乾きました。

20140707

加薬ご飯

よく母が作ってくれたかやくごはん。ずっと「火薬ご飯」だと思っていたのですが、「加薬ご飯」だったことを、昨日書いた若杉ばあちゃんの本で知りました。陽性のごぼうと人参、浄血作用のあるひじきなど、身体の薬になるものを加えるから加薬ご飯と言うのだそうです。

懐かしくなって作ってみたら、おいしくてついつい食べ過ぎてしまいました。。。ごぼうはなかったので、かわりの根菜に切り干し大根を入れて、大根・人参・ひじきで作りました。天日塩と醤油と三河みりんで味付けして、土鍋でじっくり炊きました。


香川の小豆島にも発酵文化が息づく町があり、お醤油の醸造元や佃煮の製造元が並ぶ界隈が醤の里(ひしおのさと)と呼ばれています。香川に来てから使っているヤマヒサ醤油さんのお醤油も、醤の郷からやって来ました。小豆島の発酵の里、いつか散策してみたいです。


20140706

図書館にて

地元の図書館に、気になる本がいっぱいあって、ちょっと意外でした。エコでスローで自然と調和した暮らしに役立つ本が充実しています。こういうのが好きな人が多い町なのかなぁと少しわくわく。

(左上から時計回り:「昭和がお手本 衣食住」、「エアコンのいらない家」、「食べる野草図鑑」、「若杉友子の「一汁一菜」医者いらずの食養生活」、「こうして作れば医者はいらない

若杉ばあちゃんの本もたくさんありました。若杉ばあちゃんは、一汁一菜の食養を実践して、髪は黒々、肌もつやつや、新聞も眼鏡なしで読めるくらい視力もよく、米も野菜も作っている元気いっぱいのおばあちゃんで、私も将来、こんなおばあちゃんになりたいと思っています(でも、自分の直感と身体に聞いてのいいとこどりで、全部杓子定規に守っているわけではありません。大豆も酢も食べますし、放射能は避けています)。

若杉ばあちゃんの本に「本物かニセ物か、よいか悪いか、善か悪か、嘘か真かがわかる人間でいることが、自分や家族、そして社会がよくなる、一番手っとり早い方法です」と書かれていて、さすが、いいこと言うなぁと思いました。

(ちょっと長めの続き)

20140705

綾川そばだんご

お腹を空かせて田植えから帰ってくる相方には、素早く出せるおやつが必要です。いつもの蒸しケーキを切らしていて、急遽作ったのがそばだんご。


白玉粉がちょっとしかなかったので、綾川そば粉と全粒紛を足し、少し塩を加えて混ぜ合わせて、少しずつ水を加え、耳たぶくらいの固さになるまでこねて丸め、だんごにして茹でました。早くゆで上がるように、真ん中を窪ませておいたら、トッピングがよくのっかって良かったです。むちっとして噛みごたえのあるだんごになりました。トッピングは三種類で、すりごま+天日塩、きなこ+天日塩、新宮わきの茶の粉末茶+天日塩。意外とお茶しおがおいしかったです。

好きなのかけて食べてよ〜と出したら、相方の作品はこれ。


きなことお茶しおのミックス。一玉につき、一つの味と思い込んでいた私には斬新でした。白玉団子と言えば、きなこもごまも砂糖を混ぜていましたが、きなこもごまも実は甘味があって、塩だけでその甘味が引き出されるので不思議です。

串刺しにして焚き火であぶって醤油をつけてもおいしいかも。定番おやつになりそうです。

20140704

ど根性ちびっこ

玄関前の軒下、コンクリートのヒビにかわいく並んだ草のちびちゃんたち。


かわいすぎてしばし悩む。こんな狭苦しいところに根を下ろして、雨も当たらないのに少しずつ大きくなったんだね、きみたちは、と思うと、抜くに抜けない。

縁側のコンクリートのヒビに生えたどでかい草が目に入る。ここまででかくなると怖くて触れない。小さいうちはかわいいが、いずれは怖いくらいでかくなるんだよなぁと、結局抜くことにした。

陽も傾き、自分の程を思い知る。

20140703

駆け出しダウンシフターのたわごと

東京時代も好きなことばかりしてゆったり働いていたが、香川に来てもっとゆったりになった。

収入が半分くらいになってなんとなく不安になり、バイトをしないとだめかなぁと求人を見たりもしたが、せっかく好きなことだけをしに移住したのに、環境や身体に悪いものを売る仕事や、欲しくない人に欲しがらせる仕事、戦争や環境破壊に加担している企業の手伝いをしてどうするんだろうと思った。生きていくのにいくらかかるのか、真剣に計算してみた。

月に必ず引かれる“奨学金”という名の学生ローン(*)の返済や、電気代、ネット代、携帯代などの経費を改めて計算し、月に使えるお金を出してみたら、節約をがんばれば暮らせることがわかった。東京で相方ともどもお世話になった人生の先輩が、カロリー計算をゲーム感覚で楽しみながら減量に成功したのを見習って、月当たり使えるお金を日割りして1日に使えるお金を出し、ちょっとしたゲーム感覚で毎日節約も楽しんでいる。

仕事はしてるの?と心配されるほどだが、細々ながら好きな翻訳と執筆の仕事をさせてもらえていて、うまくやりくりすれば、おいしいものがお腹いっぱい食べられて、学生ローンも返済でき、温泉にも行ける。

中学から老後の心配をする子もいる。私もそうだった。安定した仕事について、老後は厚生年金をもらって、いや、教師になれば恩給もついて安泰だ、みたいな、夢のない子どもだった。何がしたいのか、なんて考える余裕もないほど、将来の不安でいっぱいだった。学校の作文などで夢を書いたこともあったけど、「ハクをつけないと」「バカにされたくない」など、外からの評価を意識しすぎて、恐れを出発点にした"夢"だったように思う。

いざ、こんな生活に入ってみると、私ってなんてバカだったんだろうなぁと思うことがある。わずかな収入でも幸せに暮らせてしまう。おいしいものをお腹いっぱい食べたって、頭と手を使えば、電気は500円台、タダでお湯が沸き、自炊すれば有機・無農薬の本物の食材にこだわったって食費もわずかで済む。燃料も水も食料もみんな自然がただで用意してくれているんだ、なんてありがたいんだろうと思った。

いずれは電気も自給する予定で、秋には米も穫れ、畑で野菜も育つから、買うのは調味料くらいになるし、生活費は減る一方だ。食べていくためだけなら、本当に人に喜ばれること、意味があること、好きなことだけを収入にして生きていくことは確実に可能だと思えるようになった。

相方と二人、ムカデの恐怖に気が滅入り、家から逃げるように外で過ごしていた時期があった(煙で燻してみたり、いろいろ試して最近はあまり出なくなった)。幸い、香川はうどんが安くておいしいので、昼ご飯は300円以内で食べられ、明るい雰囲気も好きで、よく行った。しかし、同じお金でもっと健康的でおいしいものが食べられると気づき、完全に全食自炊にして一週間もしたら、肌のハリとキメ、潤いが全然違った。やっぱり食べたものが身体になっている。

こんなにいいものを食べていたら、全く医者にかかる気がしない。ますます老後の不安と現実はかけ離れていく。子どもの頃、老後の不安に恐々としていた自分に教えてあげたい。今、やっと夢を見るスタートラインに立てた気がする。今になってやっと、子どもみたいに、何をしようかな、と将来の夢を思い描けるようになった。

日々の生活の中で手を動かすことが増えて、食べるものや使うものを作るのも楽しくて、そういうのも仕事にしてみたい気持ちもある。一方で、やっぱり言葉が好きなんだなぁとも思う。何カ月か前に、日本の素晴らしいものを海外に伝える英訳の仕事をさせてもらってすごくやりがいを感じた。日本語と英語はかけ離れた言語であるだけに、ああでもないこうでもないと考えあぐねてふとぴったりの訳が浮かぶとすごくおもしろく、似たような表現を見つけると同じ人間なんだもんなぁとうれしくなる。英語と日本語を行ったり来たりする仕事は、そういうのが醍醐味だと感じている。本当に必要としている人の役に立てたり、世界を良くする一助になれたり、そういうことに自分の力が生かせたらこんなに幸せなことはないなと思う。

節約して自分ですることを増やしたら、やりたいことがたくさん見つかった。出て行くお金が少ないから、それらを全部少しずつ仕事にしたら暮らしていける。争う必要も、貪る必要もない。時間にもお金にもゆとりができ、仕事には幸福感と満足感を感じられる。本では読んでいたが、こんな生活が本当に可能だったということを、今知り始めたばかりだ。

(*注:海外では奨学金と言えば給付型のもののことで返済はなく、日本の“奨学金”のように返済の必要のあるものは「学生ローン」と正確な呼称で呼ばれる。経済的に恵まれない人が大学で勉強できないような“先進国”は日本くらいしかない。参照→NAVERまとめ「日本の奨学金制度はおかしいぞ」

20140702

冷蔵庫なし、だからこそ

家族がおいしいメロンを送ってくれました。

冷蔵庫で冷やして食べるもの、としか思っていなかったメロン。常温でもものすごくおいしくて、身体も冷えず、かえって良かったです。

しかし、切った後は常温じゃ痛むよねぇ?ということで、食べきれない分をどうしようか相方と相談。焼酎につけてリキュールにするか、ジャムにするか、と話していて、ワインに漬けてサングリアにしたら実もおいしく食べられるね、ということで、サングリアにしました。

メロンとレモンのサングリア
オーガニックワインに、家にたまたまあったシナモンスティックとレモンも一緒に漬け込みました。普通は白ワインにするところだと思いますが、ポリフェノールがあるほうがいいという相方の希望で赤ワインになりました。レストランに行かなくてもこんなおいしいものが楽しめて、送ってくれた家族に感謝です。

相方曰わく「ワインがメロンに移行して、メロンがワインに移行して」、どちらも新しい味になっていました。ワインが染み込んだメロンは結構お酒がきつい目で、お酒好きにはもしかしたらたまらない味かも。

ワイン漬けになったレモンは、翌日の蒸しケーキに入れました。粗糖を少しとシナモンパウダーをふりかけてのせたらめっちゃおいしそうな蒸し上がり。レモンのほろ苦さが大人な味でした。レモンを蜂蜜に漬けておいてもおいしそう。

ワイン漬けレモンの
焚き火蒸しケーキ
自分の中で常識化している前提を一旦クリアにして考えると、思わぬひらめきが生まれるものだと思いました。ごちそうさまでした!

20140701

庭いじり

庭の草刈りをしていたら、ツバメがたくさん遊びにきました。ぴちくりぴちくりおしゃべり。

お隣さんの屋根の上でひなたぼっこ
小さな蝶がふわふわして、手元を見るとちっちゃいカタツムリ。


庭の草刈りはちょくちょくしています。手作業だと少しずつになるので、ちょくちょくやるのが肝要ですね。かわいい生き物に囲まれての庭いじり。癒される時間です。