20140302

西のほうへ移住します―追記

長くなりますが、もっときちんと書いておきたいと思ったので、もう少し詳しく追記します。移住を真剣に考えるようになったのは、震災と東電の原発事故がきっかけでした。

もともと田舎育ちなので、都会は合っていなくて、いずれは田舎にと漠然と思っていました。地震と原発事故でそれが加速したという感じです。

地震で大きな仕組みがストップし、お金があっても食べ物がない、電気が来ない、燃料も足りなくなる、電車が動かなくて家にも帰れない、そんな都会の暮らしを目の当たりにしました。お金さえあれば何でもできるという前提を自分が持っていたことと、それは幻想であるということを同時に知ることになりました。

もともと、自然と調和した暮らしがしたいという気持ちをぼんやりと抱いていましたが、この経験をきっかけに、衣、食、住、エネルギーの自給率を増やした手作りの暮らしがしたいと具体的に考えるようになりました。すでにそういう暮らしに入られている人々のお話を見聞きするうちに、ますます憧れが膨らみ、東京でも小さな畑を借りて自然農に挑戦したり、味噌や梅干しを作ったり、自家製酵母でパンを焼いたり、小さなソーラーシステムを作ったり、焚き火を教えてもらったり、田舎暮らしの予行練習をしているような感じでした。自分でできることが増えるのが楽しいのと同時に、どんな状況でも生きていける安心感が大きくなっていきました。

場所を西日本にしたことについては、これは言わないことも考えたけれど、やっぱりそれは卑怯だと思ったので言います。自分だけ情報を知って、それをもとに行動し、ほかの人に知らせないのはずるいと感じるし、情報を知ったうえで暮らしを考えてほしいと思うので、やっぱり言うことにしました。もちろん、今汚染地に住んでいる人たちに不安を与えたくないから本当のことは言わないという気持ちもわかります。私も迷ったのはそういう気持ちがあったからです。聞きたくないという人もいると思いました。言わない人を責めるつもりはありません。言わないのが正しいのか、言うのが正しいのか、私にはわかりません。ですが、自分が本当のことを聞かせてもらって助かったという経験や、自分の中のずるい気がするという感覚に従って、本当のことを言いたいと思いました。私の思ってきたことも合わせてこれまでの経緯を書きたいと思います。

東京電力の原発が爆発して、東京も放射能で汚染されてしまいました。原発の問題に詳しい人たちの中には汚染がないか少ない地域に移住をする人もいました。自分の住んでいるところは大丈夫と思いたい気持ちも捨てきれず、私の住んでいる府中市では空間線量計を無料で貸出してくれているのを知っていながら、測ることはしませんでした。しかし、親しい人が汚染されていない地域から東京に引っ越してきたいと言うので、本当に来てもいいものかと、ついに測ることにしました。

そのときのことは過去のブログにも書きましたが、概して0.07~0.08μSv/hのところが多く、0.1μSv/hを超える場所も点在していて、事故前の東京の平均数値0.036μSv/hよりも低くなる場所はまれでした。また、車通りの多いところに行くと高くなる傾向がありました。土や空気に存在しているということは確かで、埃に付着して存在する放射能が舞い上がったものを吸い込めば、呼吸による内部被曝をしてしまいます。この程度ならそこまで神経質になる必要はないとおっしゃる方もいるのですが、私が知る限り、何ベクレルまでなら大丈夫なのかは科学的に証明されていませんし、大丈夫とおっしゃる根拠がわからないので、外出時はなるべくマスクをして吸い込まないようにするようになりました。

放射能下の日本で暮らすには?」など原発と被曝に関するさまざまな本を読んだり、映画「内部被ばくを生き抜く」を見て、被ばくに対するリテラシーを高めようと勉強しました。本はたくさん読みました。内部被曝は何ベクレルまでなら大丈夫という研究結果はないということもわかりました。わからないなら、予防原則をとって、なるべく避けたいと思いました。若い人ほど影響を受けやすいこともわかりました。同年代の友人や小さい子どもがいる人にはできる限りの被曝対策をとってもらいたいと思いました。

さまざまな本やウェブサイトにも書かれていることですが、自然放射能と違って人工放射能は身体からすんなり出て行かずに特定の臓器にたまり(たまりやすい場所は核種によって異なる)、至近距離から集中攻撃をすることがわかっており、外部被曝ではさほど問題にならない種類の複数の放射線も内部被曝では問題になってきます。DNAの二重らせんを二本とも放射線で切られてしまうと、誤って修復してしまうことがあり、染色体異常を引き起こし、これが増殖すると発がんにつながるリスク(わかりやすいNHKの映像)があります(「放射能下の日本で暮らすには?」にウニの比喩でわかりやすく書かれていて、参考になります)。

東京で暮らすなら空間線量計も欲しい(そうでないと、線量の高いところに知らずに座ってしまったりするから)けれど、高くてとても買えない…と思いました。自分ができるなかでベストなのは何かを考えました。厳しい検査体制をとっているところから不検出の野菜を買う、検出下限値がわからないなら汚染されていない産地のものを買う、外食でどこのものかわからないものをどうしても食べないといけないときは汚染されやすい食品を避ける(「食べる?」という本が参考になります)、飲み水にはセシウムを吸着するゼオライト入りの浄水器を使う、外出時はマスクをして吸入を防ぐ、放射能の排出を助ける麻炭を摂取する、免疫力を高める食事をする、電磁波や化学物質など放射能以外の危険因子を避ける、レントゲンなどの医療被曝の回数を減らす(日本の医療被曝は鮮明さを優先して諸外国よりも線量が高く、回数も多い)など、できることをいろいろ考えて、できるものはやってきました。聞いてくれる人にはそういうお話もしてきました。

自然と触れ合いたいけど汚染がどのくらいあるかわからない、お風呂の水にも放射能が微量に入っている、吸い込む空気にも放射能はある、それでも東京なのか?と自分に問いました。東京をどうしても離れられない理由はなく、生活の不安がないわけではないけれど、田舎のほうがやりたいことができると前から思ってきたじゃないか、と思い、そうすることにしました。東京で知り合った素敵な人たちと会えなくなることだけが東京を離れたくない唯一の理由でしたが、新しい土地にも素敵な人たちがたくさんいるし、東京の素敵な人たちと新しい場所にいる素敵な人たちの橋渡しができたらもっと素敵なことが起こるかもと思えるようになりました。

親には最初、「ベクレルだかモクレルだか知らないけど、そんなことを知ったところで何にもならないじゃないか。そこまでするのか」と言われましたが(故郷からはだいぶ距離が離れてしまうので、遠くに行かれるのが嫌だったのだと思います)、「後悔したくないから」と伝えた後、科学的知見と論拠や移住先についての情報を長い手紙に書き、今はよく理解してくれています。故郷も、山と風向きに守られていたおかげで、市民測定所などのデータを見ていて水や空気などから放射性物質が検出されることはほとんどないのですが、車がないと生活できない環境なので、移住は難しいと判断しました。

放射能のことをちゃんと言おうと思ったのは、すでに移住した人たちが、隠さずに理由を言ってくれたおかげで(たとえば田中優さんなど)、私も移住を現実的に検討することができ(それがなければ検討すらできなかったと思います)、生き方を考え直すきっかけにもなり、とても感謝しているからでもあります。もし、移住できるならしたいと思っている人が、この文章を読んでくれて、願いを実現する力に少しでもなれたらうれしいです。いろいろな方と話していて感じるのですが、東京には放射能がないと思っている人がかなりいるようです。だから、移住という選択肢がとれない人たちには、正しい情報を知って、できる対策をとって後悔のないように過ごすということを少しでも考えてみてもらえたらと願っています。これからも情報発信を続けていくつもりです。肥田先生のインタビュー記事も希望が湧いてくる内容です→「内部被曝を乗り越えて生きるために」。

新しい土地に引っ越すことができるのも多くの人の支えがあってのことでした。そのことに感謝して、移住後は社会のために自分ができることをやっていきたいです。早く事故が収束すること、原発事故の被害を受けた人々が生活を立て直せるように社会が変わること、原発が世界からなくなること、命を大切にする世の中になることを願っています。