20140223

うわさばなし

【旧暦1月24日 月齢 23.3 雨水 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)】

思わず笑ってしまったうわさばなし。

何年かぶりに会った知人が相方に聞いた。
「ちょっとうわさできいたんですけれど、…酒豪なんですか?」

相方は確かにお酒の味は好きだが、ほんの少ししか飲めない。少量ですぐに眠たくなってしまうし、不自然な方法で作られている普通のお酒だと、探知機のように頭が痛くなってしまう。下戸とうわさされることはありそうなものだが、酒豪のうわさが立っているとは面白かった。

「なんでそういうことになっているんですか?」と私は聞き返した。
「いえね、なんでも床に何本もお酒の瓶がゴロゴロ転がっていると聞いたもので」

相方と私は、農薬や化学肥料を使わずに栽培された原料を天然の菌で醸したお酒の味が好きで、百薬の長として、日常的にデミタスカップに一杯ほど飲んでいる。寒い日には、オーガニックワインをチャイで割ったシェルパティも身体があたたまって良い。

そういうお酒は珍しいので、扱っているお店に行ったときや、旅行やマルシェで見つけたときに買っておくようにしているのだが、結果、家に何本もお酒が並ぶことがある。そのときにたまたま家に来ただれかが、瓶が並んでいるのを見てそう思ったのかもしれない。

少しずつ飲むので、飲み差しばかりになり、転がっているということはないのだが、口から口へと伝わるうちに、「何本もゴロゴロ転がっている」ということになったのだろう。うわさとはこんなふうにしてできるものなのだと可笑しかった。

世の中で言われている話も、一次情報に辿り着くまでは真実かどうかはわからない。そういう話がある、というにとどめて、知人のように、直接本人に聞いてみるのはいいことだなぁと思った。まぁ、本人が嘘をつくという場合もあるのだが、直接会って目を見て話せば、嘘ならたいていわかるものだ。

20140220

モロヘイヤ

先月、モロヘイヤの種取りをした。モロヘイヤは熱い国の原産で、日本では種ができる前に秋がきて、寒さで枯れてしまうと聞いていたが、莢ができていて、触ってみるとパチンと開いて種が弾け飛んだ。土の上に散らばったのは、天然石のような青緑色をした美しい小さな種だった。莢の中を見ると、きれいに種の部屋が分かれていて、スペースに全く無駄がなく、こんな小さな莢によくこんなに種が入るなぁと感心した。天の創造物は見事すぎるとしばし見入った。とれた種は今年の6月頃に蒔くつもりだ。

20140215

バレンタインがきらいなわけ

日本のバレンタインデーには苦々しい気持ちになる。最近はフェアトレードのチョコレートもあるので、そうでもなくなってきたのだが。

日本のバレンタインデーは、本来のバレンタインの精神を忘れ、基本的に女性が男性にチョコレートをプレゼントする日になっている。チョコレートメーカーが金儲けにしかけた。諸説あるが、本来、バレンタインとは、聖職者Valentineの命日だと言われている。St. Valentineとは、貧しい人、生活に困っている人、社会的弱者を救おうと心を尽くした人物である。

一人が一人にあげるだけでは飽きたらず、義理チョコ(恋愛対象でない複数の男性にあげるもの)、友チョコ(女友だちにあげるもの)、超義理チョコ(嫌いな男性にあげる安いチョコ)と、チョコを配る対象がどんどん増えている。

こんなことが好きな女性はいいだろうが、そうでない人間には苦痛である。こんなことに散財したくないし、あんなにたくさんのチョコレートを配らないといけないなんてお金のない人は楽しめないイベントだ。感謝の気持ちを伝えるいい機会でしょう?と言う人もいるかもしれない。感謝の気持ちなら普段から機会あるごとに伝えればいいと思う。何も一年に一回に限る必要はないし、チョコである必然性も私にはわからない。

男性は自分が誰からもチョコをもらえなかったらどうしようとハラハラし、本命チョコならうれしいかもしれないが、義理チョコをたくさんもらったらもらったでホワイトデーのお返しの心配をしなければならない。女性は女性だというだけで、「女子なのにチョコあげないの?」みたいな、チョコを配らないといけないというプレッシャーがある。男性に「君、今日は何の日か知ってる?女子なのにバレンタインなんて関係ないみたいな。変わってるねぇ」と言われたこともある。

しかも、そのチョコレートはほとんどが貧困国の人々と自然の犠牲の上に作られたものだ。フェアトレードのチョコレートは極わずか。低賃金で過酷なプランテーションで働かされ、仲買に安く買いたたかれたカカオ。教育の機会を奪われて働かされている子どもたちもいる。砂糖もフェアトレードでなければ同じようなもの。プランテーションを拡大するために自然が破壊されている。

ミルクは、暗くて狭い牛舎に閉じ込められ、本当は草が好きなのに乳脂肪分を高めるためだけに穀物を食べさせられて、病気になると厄介だからと薬漬けにされている可哀想な牛から搾り取ったもの。飼料穀物は大抵遺伝子組み換え穀物だ遺伝子組み換えといえば、乳化剤によく使われる大豆レシチンも遺伝子組み換え大豆が原料であることが多い

日本のバレンタインデーは、命を冒涜している。人間をバカにしている。真実を隠されて、知らずに楽しんでいる人のことを批判はしないが、私は企業の金儲けに振り回されたくはない。空気で強要されても怯まない自分でありたい。あげないと仲間外れになるし、とか、気まずいし、と思う女性の感情や、誰からももらえなかったら悲しいという男性の感情といった、人間の恐怖心を煽って金儲けに使うやり方が大嫌いだ。

St. Valentineの精神に則って苦境に立たされている人々のことを考える日にしたい。自分を支えてくれている人や自然を想う日にしたい。フェアトレードのチョコレートを味わいながら、遠い国の人々と自然に思いをはせるのもいいかもしれない。

20140214

倍化計画

都知事選が終わって4日が経つ。やっと前向きに考えられるようになってきた。

あの大雪の中で、原発即時ゼロの宇都宮さんと細川さんに投票した人が約193万人。本気の人が約193万人もいるということ。これは実はすごいことではないか。

前回の都知事選では投票率は今回よりも高かったが、宇都宮さんに入れた人が約97万人。大雪にも関わらず、脱原発候補者への支持が二倍になった。宇都宮さんを支持する人も前回より1万人以上増えた。今回脱原発を掲げた細川さんと合わせて、本気の人が二倍になったのだ。

しかも、日本のマスコミは、原発を争点化することを避け、公開討論会は2-3回しか開かれず、僅かな機会なので視聴したが、クロストークは禁止で候補者の考えや性格が有権者に伝わらない。基礎知識がなければ聞いても誰が正しいことを言っているのか混乱するだけの内容だったと思う。政策論争は全く行われないどころか舛添優位の政局報道ばかりだった。それなのに、脱原発を望んで一票投じるという行動を起こす人が二倍になった。インターネットで自分で情報を取りに行く人が増えたと言えるのではないか。

小泉さんと細川さんが脱原発を掲げたことで、前よりも原発の話がしやすい空気になった。脱原発=左翼みたいなレッテルが剥がれた。マイノリティを脱しつつあると感じる。

脱線するが、舛添氏の勝利は本当の勝利と言えるだろうか? 生の現場を見れば、街宣をしても人はまばら、握手を避ける人もいた。その様子を知られると困るのか、ツイキャス(携帯電話などでリアルタイムで動画を投稿すること)しようとした人が止められたと聞く町田で開かれた集会では、公職選挙法を犯してまで、3000円相当のオリンピックバッジを配ったという。いくら票が集まっても、約212万票のうち、彼の真価を評価して投票した人が一体何人いるだろう?自民公明が推薦するなら彼でなくても誰でもいいという人がほとんどではないのか。会社の命令だから、創価学会では入れる人が決まってるから、なんとなくテレビで顔を知ってるから、テレビで優勢と聞いてみんなが選ぶ人ならなんとなく安心できそうだから、そんな理由で選んだ人がほとんどではないのか。そして、彼は大勢に支持されたと勘違いをし、我が身を振り返る機会もない。

世界に知れ渡ったレッドカードものの女性蔑視発言には撤回も謝罪もなく、厚労相時代の悪事をごまかし、伊豆大島の被災者にぶち切れ、JR職員にもぶち切れ、支持層であるお年寄りには感謝の気持ちもなく、消費税を上げてじじぃ、ばばぁから金とりゃいんだと言っている。冷静に数字を見れば、たった2割の都民の支持であって、もしかするとその多くは不誠実な支持かもしれない。それなのに、我が身を振り返る機会もなく、人間性を高める機会に恵まれず、損得勘定で寄ってくる者ばかりとは、私には勝者ではなく気の毒な人間に見える。

宇都宮さんは約98万票だったが、彼を本物だと思う人の数だ。街宣にはいつもたくさんの支持者が集まり、多くのボランティアが選挙活動を支えていた(細川さんの選対のことは参加していないのでよくわからない)。

原発をやめようと真剣に考える人が一年で二倍になった。低い投票率を鑑みると、もしかしたら二倍以上いるのかもしれない。大雪で行きたくても行けなかったという人もいるだろう。目覚めた人が、仲間を一人ずつ増やせばまた倍になる。前よりも話しやすくなった今、倍に倍にしていけば状況は変えられる。地道に楽しい活動を続けていけば、必ず、明るい未来が拓けると信じている。

20140213

柵のない者の役割

私にはお金もないが、おかげで柵(しがらみ)がない。
ない、とまでは言い切れないが。
柵があって言いたいことが言えない人がいることを知った。
柵があって自ら情報弱者になっている人がいることを知った。

柵がない者の役割というものを考えるようになった。
私は自分の殻を乗り越えさえできれば何でも言える。

ヨーロッパ出身の友人は日常的に政治の話をする。
日本にはそういう雰囲気がない。
政治の話はタブーとされている感じさえする。
日本人のミュージシャンが海外のミュージシャンに
「君は何党を支持しているんだい?」と聞かれて
面食らったというエピソードも最近読んだ。

柵がない私から、政治の話をすることで
日本で政治の話をする人が一人増える。
私の自由な発言を見たまわりの人の中で、
政治の話をする人が出てくるかもしれない。
また一人、また一人を自由に話せる人が増えていく。
いつのまにか政治の話がしやすくなって、
柵がある人でも話しやすくなったりするかもしれない。

政治は暮らしと密着してる。
私の働いたお金で
国は戦闘機を買ったり、
爆弾になって落とされたり、
原発につぎ込んだり、
政府に厄介、でも、
市民には極めて重要な発言をする人の監視をしたり。
そんなことに使われたくない。

政治の話をもっと自由にできる世の中にしたい。
そのファイアスターターになりたい。

20140210

龍神

私のなかに龍神がいる。そんな気がする。

東京都知事選。半分以上の人が決断を放棄して、
街宣では聴衆がさっぱり集まらない人間が組織票の力で当選した。

投票率43.14%。有権者の約20%の得票で当選。
投票に行かなかった人たちのほうがずっと多い。
きちんと選んで投票に行ったら、
こんなトンデモナイ悪党を落選させられたのだ。

「福祉のプロ」の仮面を被って、その本性たるや、
数々の女性蔑視発言、
妻の帰りが遅いくらいでナイフを突きつけるDVナイフハゲ、
年寄りをヤツら呼ばわりして大事に貯めてきたお金を
消費税あげりゃあいいんだとぶんどろうと狙う。
我々の税金で借金返済疑惑もある。
(詳細→舛添要一を都知事にしたくない女たちの会
トンデモナイ悪党が東京の顔になった。
こんなトンデモナイ悪党に200万人以上の人が
投票するなんて信じられない。

頭のなかで雷が落ちまくり、心のなかでは龍神が暴れまわる。
私は今日、制御不能の怒りに振り回されていた。

私はこの怒りを乗り越えられるのだろうか。
考えることを放棄した人々。
真実を伝えず、争点をごまかし続けたマスメディア。
無批判な人々を騙した悪党ども。
この状況を許してしまった人々の無関心、無気力、無抵抗。

自分のことも許せない。
もっとできることがあったはずなのに
エゴを捨てきれなかった。
殻を破りきれなかった。
自分の弱い心を乗り越えたら、
もっとできることがあったはずだ。

でも私はこの怒りを乗り越えないといけない。
金と権力でつながった悪の勢力とは、
たった一人では戦えない。
怒りを手放して、多様な人々と手をつなぎ、
相手を理解し、自分の思いを伝え、
調和して生きる道を探らねばならない。

20140205

一本化論争に思う

一本化論争に思う。脱原発候補が二人出てきたってええやないか。

二人出てきたからこそ、ここまで原発の問題に注目が集められたのだと思う。どちらか一方だけだったら、報道で脱原発が争点化されなかったのではないか。

原発に無関心な人のほうがまだまだ多いと思う。だから、細川さんと宇都宮さんが二人して選挙活動で原発の問題を訴えてくれることで、一人で訴えていたときよりも多くの人に声が届けられることは歓迎すべきことだと思う。

著名人たちは役割を勘違いしていないか。会見や、SNSなどでの発言を見るに、一般人は考えが足りないから、俺らが誰を選ぶべきか示してやる、みたいな上から目線な態度で、気持ちのいいものではない。考える材料を提示し、判断は一人一人の市民に委ねるべきだ。それが民主主義というものだ。

私自身は宇都宮健児さんを応援しているが、細川さんの対談などを映像で見て細川さんも好きになった。細川さんの発言や暮らし方にはとても共感できるものがある。

ただ、具体的な政策、実績から考えると宇都宮健児さんが知事には適任だと私は思う。細川さんは政策のことになると曖昧な発言が多く、さまざまな市民団体からのアンケートにも曖昧な回答が多いので、細川さんが知事に適任かどうか判断できない。確固とした姿勢を表明できない様子から、これから先もいろいろな人に操られてしまうのではないかという恐れすら感じる。脱原発という主張と、人柄と、元首相という肩書だけで、これからの東京を任せてよいかどうか、判断することは私にはできない。

しかも細川さんは脱原発と相容れないTPPと関連のある国家戦略特区(*注)には推進の立場をとっている。宇都宮さんは「東京の農林水産業・中小企業と、消費者の食や生活の安心・安全を守る立場から、TPPに反対します。」と明確にTPP反対を公約に入れている。

選挙は勝たなければ意味がないという人がいる。なぜ選挙をやる前からそんなことがわかるのか。投票率を上げれば変わることなのだから、情報を伝え、意見を交わし合い、多くの人に真剣に投票をしてもらうように努力することが本当はやるべきことなのではないだろうか。

恐れに基づく判断を、私はしたくない。私は、この人がいい、という希望に基づいた判断がしたい。自分に嘘をつきたくない。

ここに書いたことは、私の思考プロセス。だれかに同じように考えてもらうためではない。私は私、あなたはあなた。あなたが一生懸命考えたことを否定するつもりはない。あなたが考えたことも、聞きたい。意見を交換しあって、補強しあい、鍛錬しあうことが重要だと思うが、リアルでは今のところそれが難しいから、オンラインで擬似的に意見交換を試みている。

*注:TPPにそっくりな米韓FTAの事例からTPPを考察したインタビューにこうある:「TPPに参加すると、『脱原発』も意味がなくなる。2011年、ドイツがフランクフルトの原発を閉鎖した際に、それを所有・運営していたスウェーデンの企業が、ドイツ政府を訴え、勝訴した。しかも、TPPは過去の判例は参考にされない。仮にドイツ政府が勝っていたとしても、韓国政府が原発を閉鎖し、訴えられたときに勝てるかどうかはわからない」http://iwj.co.jp/wj/open/archives/59810

また、TPPと国家戦略特区との関連については、国家戦略特区について詳しい前大田区議の奈須りえさんが「TPPもこの国家戦略特区も表裏一体」「たとえ、TPPに批准しなくとも、国家戦略特区のしくみなら、ISD条項などを除けば、TPPに批准したのとほぼ同じ状況を作ることは可能になる」とブログで述べている。宇都宮けんじさん✕内田聖子さん✕那須りえさんの対談でも同様のことが語られていた。

20140204

置き去りにしないで

福島からの避難者の声です。東京都に住む人々に脱原発を選んでほしいです。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014020490135432.html

福島の人たちは、福島の原発で作られていた電気を全然使っていなかった。使っていたのは東京に住む私たちだった。無関心だった自分をすごく情けなく思った。東京で使う電気のために、原発が作られて、それが爆発し、福島の人々は、故郷を汚染され、コミュニティが崩壊した。家族がバラバラになった人もいる。母子家庭になり生活が苦しくなった人もいる。脱原発だけでなく、脱被曝、原発事故被害者の生活再建、お母さんが働きやすい環境の整備も具体的に政策に入っていることが重要だと思う。今なお苦しんでいる人を置き去りにして、脱原発だ、再エネ拡大だ、と叫ぶのは、自分が彼らだったらと思うと私には悲しすぎる。今なお、再稼働を急ぐ原発推進派。もはや人間の心を失っているのだろうか。

宇都宮けんじさんは、
と政策の柱に掲げている。何よりもまず第一に、原発事故被害者の支援なのだ。宇都宮さんが脱原発を目指すのは、被災者、被害者の苦しみを生で見て、この人たちを助けたい、という想いからなのだ。筋金入りだと私は思う。

中立を追求しない

中立を追求することに固執すると、真実へ近づくのに遠回りになることが多い。真実から遠ざかることすらある。

中立ではなく自立を心がけたい。だれかが言ったことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考える。自分の心で感じる。直感に耳をすます。

自立していない発信とはなにか。誰かに遠慮して言うべきことを言わない。お金をもらっているとか、自分が生活上頼っているだれかに不都合な情報を故意に隠す。肩書が立派だからとか、著名人だからとか、そういった理由で内容を吟味せずに、しかも自分の考えを加えず、自分の考えであるかのようにそのまま横流しする。そういう発信を私は警戒している。

新聞やテレビには、政府やスポンサーの圧力がかかるとさまざまなところで見聞きした。自分で見てもそう思う。報道は、私が一次情報で得たものと違いすぎる。だから、新聞やテレビは、大企業寄りなのか、それとも、リベラル寄りなのかなど、どういう傾向の新聞かを頭に入れておいて、差し引いて考えたり、信用ならないものは一次情報を探したり、複数のメディアに目を通したりするようにしている。

直観的に違うと感じたもの、さまざまな見聞の末に事実ではないと考えたものについて、私は、無理に並べることを控えている。中立でないと言われることもある。私はそれでいい。

私がどういう人間で、どういう本を読み、どういう人を尊敬しているか、どういう生活をしているか、どういう世界を夢見ているか。そういうことを知ってもらった上で、私の書くこと、発言を見てもらい、見た人が考える材料にしてもらえたらうれしい。

20140201

選挙と私

選挙になると、うるさくしてすいません。

私は数年前までは、政治に無関心でした。大学2年のときに、先生に怒られても(このあたりのことは過去にブログで書きました)、選挙にいくという意味を腹では理解できなくて、新聞とか、テレビとかに流されて、たぶんなんとなくで選んでいたし、行かないこともありました。

私が政策を読んだり、本人の声を聞いたり、現場に行ったりするようになったのは、震災以降です。2011年に東日本大震災が起きて、東電の原発が爆発して、それでもすぐは気が付かなくて、しばらくしてから、自分で情報をとりにいくようになり、棄権することが生きにくい世の中をつくるのに加担しているということに気が付きました。世の中に文句はいっぱいあったけど、人のせいにしていて、自分は選挙を真剣にやっていない、そういう自分は、まだ大人になっていなかったと反省しました。

自分が棄権したり、白紙委任したりすることが、原発が爆発して自分の住むまちが汚染された、自分が将来男の子を産んだら戦争に言って人を殺してこいと自分の子に言わなければならないかもしれない、保育園が足りない、お年寄りの孤独死、働く人たちの過労死、過労自殺、税金は上がる、そういう生きにくい世の中を作るのに加担していたということに気が付きました。「騙されたあなたにも責任がある」という言葉に、ほんとにその通りだったと思いました。人任せにしないで自分の頭で考えて行動する、そういうちゃんとした大人になりたいと思いました。

そして同時に、投票するということが楽しい世の中を創る力にもなるということも、この前の参議院選挙で学びました。私は微力だけど無力じゃない。できることがたくさんある。そのことに気がついたら、政治がエキサイティングになりました(選挙自体も、テレビを見るより、ツイキャスとかUstの生中継のほうが人間性がよくわかっておもしろいし)。

だから、できることをしていきたいと思っています。
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