20130413

脱原発を願うようになった経緯

「なんでそんなに脱原発を叫ぶようになったの?」
と聞かれることがあります。

それは不思議になると思います。
私は3月11日に震災が起こるまで、
原発のことはよくわからなくて、
何の主張もなかったからです。

なので、少し長くなりますが、書いてみたいと思います。

私は、東北の出身でありながら、
福島にあんなにたくさん原発があることさえ知りませんでした。
事故の映像を見て、初めて場所を知りました。

爆発の後どうなってしまうのかが知りたくて、
映画を見たり、本を読んだり、インターネットで情報を探したり。

調べれば調べるほど、
原発は絶対にあってはいけないものだ、
と強く思うようになりました。
ドキュメンタリー映画が伝える真実は
映像であるがゆえに、生の声であるがゆえに、
とてつもなく大きな衝撃を受けました。
(読んだ本や見た映画などは後述します。)

なんで、知らなかかったんだろう、と情けなくなりました。
私が生まれる前から、
反対運動をしてきた人たちがたくさんいて、
どうしてこの人たちの話を
ちゃんと聞いてこなかったんだろう、と思いました。

身近で初めて、原発に反対している人に出会ったのは、
働きはじめてからでした。年の近い人です。

「なぜ?」ともなんだか聞きにくくて、
なぜだめなのか調べてみようと思ってはいたものの、
毎日の慌ただしさに流されて、後回しになっていました。
怖がらないで聞いてみたらよかったのに、
と今となっては悔やまれます。

その人に会うまでは、
原発のことは、もしかすると
考えたこともなかったかもしれません。

テレビや新聞で見る原発に反対する人々のことは、
フツウの人と違うと思っていたように思います。
もしかすると、非現実的で過激な人たち、
とまで思っていたかもしれません。

よく調べもせずに、
「便利な世の中を保つために、
原発はしかたないんじゃないのかな?」
と思っていたように記憶しています。

どうして、よく考えもせずに、よく知りもせずに、
勝手に思い込んで、決めつけて、と本当にばかだったと思います。

その無関心、無頓着があの災いを引き起こしたのでした。
私は原発に賛成したことはありません。
でも、無関心、無頓着であったことが、
原発を推進する大きな力になっていたことは確かです。

反対運動をずっと続けてきた人たちでさえ、
「自分たちの努力が足りなかったから
こんな大惨事を防げなかった」と、
「自分は罪人だ」とまで言う人もいます。
それを読んで、私なんかもっと罪が重いと思いました。

だから、こう思うようになったのです。

隠されている事実を知ること。
現場の声をちゃんときくこと。
現状をきちんと見ること。

知ったことをきちんと伝えていくこと。
できる応援を続けること。

原発の犠牲になっている人たちが
その呪いから解放されることと、
原発のない世界を祈り続けること。
そしてそれを行動にしていくこと。

それが今の私にできる、
せめてもの罪滅ぼしだと思うようになりました。

具体的な根拠は、また別の機会に書きたいと思います。
これまでに見た映画や読んだ本などの一部を以下に挙げます。
少しでも見てみてもらえたら、うれしいです。
そして、自分なりの考えを持ってもらえたら、すごくうれしいです。

■映画
イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘
第4の革命―エネルギー・デモクラシー
シェーナウの想い~自然エネルギー社会を 子どもたちに~
ミツバチの羽音と地球の回転
内部被ばくを生き抜く

■本
『原発・放射能 子どもが危ない』
『新聞記者が本音で答える「原発事故とメディアへの疑問」』
『鎌仲監督 vs. 福島大学1年生: 3.11を学ぶ若者たちへ』
『今こそ、エネルギーシフト――原発と自然エネルギーと私達の暮らし』
『内部被曝』
『チェルノブイリから学んだお母さんのための放射能対策BOOK』
『地宝論 ──地球を救う地域の知恵』
『テクテクテクノロジー革命』
『原発がなくても電力は足りる!検証! 電力不足キャンペーン5つのウソ』

■市民メディア(雑誌)

■情報サイト