20160913

愛国と信仰の構造を読んで 〈2〉

この記事は昨日からの続きです→愛国と信仰の構造を読んで 〈1〉

政治学者の中島岳志さんと宗教学者の島薗進さんの対談をまとめた新書『愛国と信仰の構造―全体主義はよみがえるのか』を読んで考えたことを連続で投稿しています。

昨日は、社会的紐帯が希薄になった社会で砂粒化した人々が自己の実存の基盤を求めて宗教やナショナリズム、全体主義に傾倒していく、というメカニズムなどについて書きました。今日は当時の人々がどのようにしてナショナリズムに傾倒していったのかを、時代背景とともに、もう少し具体的に書きたいと思います。

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「煩悶青年」と呼ばれる戦前の若者たちのことが語られている。

彼らはエリートコースを歩む10代、20代の若者たち。「末は博士か大臣か」と持ち上げられ、立身出世を志、勉学に励んできたが、国家の成長がピークに達した後、気づいてしまった。

「立身出世をしたところで何になるのか?」

日清・日露戦争の戦間期にあたる1903年頃、1880年代生まれの青年たちのなかから、こうした「個人の内面の葛藤に苦しむ教養青年たち」が大量に出現した。

「煩悶青年」が社会現象化するきっかけとなったのは、藤村操さんという16歳の学生の自殺だった。彼は日光の華厳の滝に飛び込んで亡くなった。その死の直前に樹の幹に書き込んだ文章に「煩悶」という言葉があり、以降、「煩悶青年」という言葉が、彼のように生き方や人生に煩悶する青年を表すようになった。

藤村操さんは、北海道の銀行の頭取の息子で、「天下のエリートとして」旧制一高(現在の東京大学教養学部および千葉大学医学部と薬学部の前身となった旧制高等学校)に入学したものの、「立身出世」という価値観についていけなかった。次第に、他者や自然と調和できないことを悩み苦しむようになっていく。

親鸞の教えに近代的な解釈を加えた近角常観(浄土真宗大谷派の僧侶)が旧制一高の近くに開いていた「求道学舎」(孫の近角真一氏によってリノベーションされて現存している)に通うなど、宗教にも答えを求めたが、満たされることはなく、自然賛美のワーズワースの詩の世界に傾倒していくうちに、最終的に、本当に自然と一体になるには、「華厳の滝に飛び込まないといけない」と考え、飛び込んでしまったという。

明治前半の日本は、幕末から続く不平等条約や、諸外国からの二流国家扱いなどの屈辱を味わい、「欧米列強と肩を並べたい」「近代国家として認められたい」という、単純な目標で国が一つになれたという(それも息苦しい話だが…)。

個人の人生の目標は、立身出世をして、近代国家建設に邁進する、すなわち、富国強兵と殖産興業に貢献すること、国家全体の目標は、欧米列強と肩を並べることであり、両者が一致しやすかった。

しかし、日清戦争と日露戦争での勝利によって、いざ欧米列強の仲間入りを果たすと、個人は目標を見失ってしまった。思い描いていたような理想はそこにはなかったのだ。国家の物語と、個人のサクセス・ストーリーとが、一致させられなくなってしまった。がんばって登ってきてみたけれど、望んでいたものとは何かが違う。そういう空虚感にさいなまれる若者が溢れたらしい。

エリート青年たちは、「立身出世をしたところで何になるのか?」と煩悶するようになる。こうした煩悶青年たちが通い詰めるようになった私塾が、前述の藤村操さんが通っていた「求道学舎」と、親鸞の「絶対他力」という教えに、近代的な表現を加えた清沢満之の「浩々洞」だった(「求道学舎」を開いた近角常観は清沢満之の弟子)。

合理主義者や国家改造論者を糾弾し、「全体主義の地ならしをした」という原理日本社を創始した三井甲之もこの「求道学舎」に通い、親鸞の教えに傾倒していた。親鸞の思想が言論封殺につながったというのは驚きだった(どのようにしてつながっていったかは後日)。原理日本社が絡む最も言論封殺事件には、国会議員で「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉氏を辞職に追い込んだ天皇機関説事件がある。

ここまでの流れを読んで、欧米列強並みの近代国家をつくろうと、坂の上まで一心不乱に登ってみたけれど、てっぺんまで登ってみたら、思い描いていたような現実はなく、雲の中に突入したかのように、どっちを向いたらいいかわからなくなってしまった(これを司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』がタイトルごと核心をついているという)というのは、今の日本社会とよく似ていると思った。

学校の勉強をがんばって、「いい大学」に入って、「いい会社」に入れば一生安泰だと言われて、幼少期から努力してはきたけれど、いざ「いい大学」を出たところで、一生安泰な仕事なんてない。

とりあえず食いっぱぐれのなさそうな仕事を見つけ、どうにか一生平穏に暮らせるかと思いきや、原発が爆発して仕事を辞めて避難移住を余儀なくされたり、ブラック企業で病気になってしまったり。政府による雇用破壊が進み、解雇もしやすくなっているし、賃金も下げやすいし、リスクが多様化し、一寸先は闇のような状況になっている。今の政府は放射性物質を含むがれきを日本全国に撒き散らす政策も進めているので、原発周辺地域にかかわらず、どこで急激に汚染が高まるかもわからない(全国で焼却もしている:静岡市の震災がれき試験焼却で明らかになった広域処理での放射能拡散増加の可能性)。

学校の勉強をがんばって、「いい大学」に入って、「いい会社」に入れば一生安泰というひと昔もふた昔も前の幻想を教えこむ教師や親たちの時代とは全く違う。「どうなってんだよ、この国は!」と叫びたくもなるような今の日本で、目標を見失い、人生の意味や生き方に思い悩む人たちは増えている。玉石混交なスピリチュアルブームと、ナショナリズムの台頭は、これとは無関係には思えない。先月、相模原市で起こった優生学的思想に基づくヘイトクライムなど、異常なほど狂信的になってしまう人も目につくようになっている。

作家の雨宮処凛さんも『「右翼」と「左翼」はどう違う?』の中で、それなりに努力して、それなりにいい大学に入ったつもりだけど、大学を出る頃には就職氷河期まっただ中。自分に誇りを持てなくなり、「日本人」という不動の指標をよりどころにする「右翼」の思想に傾倒していった経緯を語られていた。小林よしのり氏(「右翼」に傾倒する人たちがよく読んでいて、「右翼」に傾くきっかけになっていることも多い「ゴーマニズム宣言」などを書いている漫画家)の本に影響を受けて、アジテーションを含むスピーチや反米右翼のライブ・コンサートを行うほどのバリバリの右翼だったという。

いい大学には入ったけど、もはや「いい会社」に入っても一生安泰など期待できないということに、就職活動のあたりにはもう薄々勘づいてしまっていた私だが(そういう時代だったので、同年代の友人たちは公務員や官僚、おそらくなくならないであろうインフラ系の企業を目指す人が多かった)、昨日書いたように「なんで生きているんだろう?」と自分の存在意義を疑問に思うことも、たまにあるにしても、ナショナリズムに染まることもないし、宗教やスピリチュアルにどっぷりはまることもなく済んでいる。

それは、自然とのつながりを感じられる暮らしをしていることが大きいと思う。たくさん採れた自然の恵みを分け合えるし、自給自足に近い暮らしでは、稼ぎが少なくても生きてはいけるので、時間に余裕ができて、できることで手助けしあうこともでき、人とのつながり、縁のありがたさも強く実感できる。地方の人は、生活費が都会よりもかからないので、そういう人が多いように思う。よくいろんな人が助けてくれる。

それに、毎日手や足を動かしてやることが山のようにあるので、暇している暇がない。身体を動かさずに頭ばかり使う暇があると、頭でっかちにいろんな思想をこねくり回しておかしな方向に行きがちだと思う。ナショナリズムも宗教も、頭の中だけでこねくり回しているから、おかしな方向に行ってしまうのではないだろうか。

日蓮思想から発生し、テロリストも輩出した「国柱会」という団体に、宮沢賢治も入会していたそうだが、彼が危険思想には至らなかったのは、農の実践があったからだと思う。

私は日本が好きだ。そういう意味では、愛国主義者だと思う。でも、その「国」というのは、この大地と水と空気であり、私を活かしてくれている生き物たちの営みであり、この国に生きている人々であり、例えば旧暦や発酵食、自然農法など、先人が残してくれた知恵や文化であり、腹に落ちて感じ取れるものだ。「国体」などという雲をつかむような概念ではない。「国体」の反映のために日本の大地を汚し、戦場にして破壊し、この國に生きる人々を苦しめることは、私にとってはむしろ愛國心に反する許しがたい行為だ。

神や精霊も、頭の中だけで概念をこちゃこちゃひねくりまわすからおかしなことになる。自然とともに生きていれば、不思議な事はいっぱいある。驚くこと、sense of wonder が働くようになる。私を生かす力、すべてのものを成長させ、成熟させる力が至るところにある。それを感じとれば、人殺しや搾取、環境破壊に結びつく宗教になることはないはずだ。金をまきあげたり、勧誘して信者を増やせば功徳が高まったり、そんなのはおかしいとわかるはずだ。

藤村操さんの事件の経緯を知って、芸術作品までもが人を死に至せる要因となりうるとは衝撃だった。困難な時代には、何であれ危険につながるものにいつ変化するかわからないのかもしれない。人と人とのつながりが希薄なさみしい時代、だれかを蹴落とさないと生き残れないと思い込まされるような時代、希望の見えない不安定な時代、どんなひどい時代でも、自然とのつながりを感じ、自然とともに在る生き方をしていれば、自然が無尽蔵に与えてくれる恵みを人と分かち合うこと、喜びを分かち合うこともでき、生き抜く強さを与えてくれるのではないかと思った。自分にはできることがたくさんあると感じることもできて、自尊心だって自然に高まってくる。少なくとも私はそうだし、そういう生き方をしている友人たちも、とてもいい顔をして過ごしている。

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